社会政策学会史料集





社会政策学会弁明書をめぐる論争

葛岡信虎「東京経済雑誌と社会政策」(一)

本年夏初、社会民主党組織の事あるや、一時物論喧囂、甲是乙非、頗る世人の判断を撹乱するの勢あり。是に於て、社会政策学会は一篇の弁明書を公にし、学会取る所の主義は社会改良に在りて、彼の独逸社会党の綱領に模?したる社会民主党の主義とは全く相反対せるものなること大方の君子に告白したり。思ふに世間有識の士、弁明書を熟読玩味したる人は必ず学会公表の趣旨を了せしならん。たゞ当時二三の人々の猶ほ未だ疑惑を抱くを免れざるものあり、社会民主党創立者の一人安部磯雄氏が書を毎日新聞に寄せて云々したる、毎日新聞記者が数日の論説を重ねて社会政策学会員を非議したる、七月二十日の経済雑誌が弁明書を批評したる如きは即ち是なり。此等の所論を概するに孰れも誤惑自ら悟らず審思熟慮の工夫を費さず端なく速断妄論の奨に滔りたるの実あり。諸氏にして若し更に尋究内省せば必ず自ら発明悟入する所ありしならん、社会政策学会が諸氏の説に対して反駁を為さゞりしは、諸氏の自思自覚するに任せて可なりと認めたるに依り世間また諸氏の如き誤惑に陥る人無きを信じて敢て弁難の労を取らざりしに依るなり
近頃東京経済雑誌を看るに、其の時事評に於て社会政策学会が同雑誌記者の所論に向ひ堂々反対し来らざるを怪むを記せり。然らば即ち該記者は今に至るも猶ほ未だ誤惑の念を排脱する能はざるに似たり。余輩も亦た社会政策学会の員に列するもの、此際に方り数言の弁を費さずんばあるべからず
今茲に経済雑誌記者の妄を弁するに先ち一事実の正誤を要するとあり。記者が博士和田垣謙三氏を以て社会政策学会の会員なりと記すること是なり、和田垣博士は初より該会の組織に関係なし博士は多分余輩と同一主義を持せらるゝならんと察せらるゝも今日に至るまで該議会に入会せず。斯る事実の誤謬は往々人の迷惑を来す憂あり。操觚の業に従ふものは此点に注意し充分精査を経て後に事実を公にすべきなり
経済雑誌記者の社会政策学会に対する評論は二箇の方面に於て誤惑に陥るものと謂ふべし。其の一は社会民主党一味の人に均しく社会主義と社会政策とを以て同一なりとなすに存し、其の一は記者が自由放任主義たるの見地より来る
記者は安部磯雄氏が毎日新聞に寄せたる書に賛同の意を表し社会主義と社会政策とを同一と為し両者の差は其程度にのみ存すと為すものゝ如し。是れ甚しき謬なり。阿部氏の云ふ所を摘要するに社会主義と社会政策とは同一のものにあらず、社会政策は社会主義に到達する一階級なるが故に之を歓迎す、社会政策は直に之を以て社会問題最後の解釈法と為すも社会主義は否らず此一点は一致せずと雖も両者は決して相背馳せずといふに帰す。何ぞ夫れ詞を措くの巧にして理の通ぜざるの甚しきや。孟軻氏の所謂其本を揣らずして其末を同うせば寸木も岑棲より高からしむべしとは此種の言説を指すものか。社会民主党の諸士が標榜する所の社会主義は現在の経済組織を全然打破し、土地資本を公有とし、社会を以て唯一の資本主とし、一切の民類を挙げて之を労働者と為すを以て其極致となすにあらずや。而して社会政策は現在経済組織の要素を保存し、公共の利益に鑑み国家の必要に応じて相当の範囲に於て節制を行ひ、以て労働問題を解決するを主義とす。即ち土地資本の公有を行ひ人類を挙けて同時に資本家たり労働者たらしむが如きは、全く空想に属し其の不可行たるは論なく、斯の如き妄想の流布は社会国家に大害ありて寸益なきものとし断して之に反対するものなり。社会主義の人は現在の経済組織を以て其性質に於て非なるものと認め、全然之を改造するに非ざれば資本労働の調和を望み難しと為す。是れ其の理想なり。即ち今の社会に向て造家技師の方法を施すを以て極致と為すものと謂はざるべからず。社会政策は全くこれと其理想を異にす、現在の経済組織は過去の歴史と進化の理法により馴致せるものにて、其の性質に於ては非ならずと認む。其の一部の不調和を見るは弊のみ、施設只宣を得節制其道に合へば、其利を保ち其弊を去るを得べし。是れ其の主義なり。即ち従来の弊害に就ては医療的の方法を用ゐ、将来の弊害に就ては養生法を施さんとするものなり。然らば則ち両者の区別は画然たるにあらずや、一は現勢を全然否定するもの一は現勢の要素を保ち之を改良するに在り。偶々社会政策と社会民主党の綱領の二三と相同しきを視て直に両者を同一と為すべからず。阿部氏が初には両者を以て同一にあらずといひ、終には社会主義は社会政策を以て社会問題最後の解釈法と為さずと明言し、土地資本の公有を以て其の最極の目的となすことを断定するに拘はらず、一方に於ては社会政策なるものは社会主義に到達する一階級なるが故に之を歓送せんと云ふは論理の貫徹せざるの甚しきものにして世俗所謂贔屓の引倒なるなからんか。吾人は敢て此の如きの歓迎を謝絶せんと欲す。社会民主党の綱領を以て其の理想に照す頗る疑ふべき者なり。曰く工場法の制定曰く女工幼工の保護曰く労働時間の制限曰く労働保険、凡そ之に類するものは、我か社会政策の主張に係る而して直に之を取りて社会民主党の綱領に加ふるを見る。此程の方策は現今の経済組織と常に並立すべきものたり。今の経済制度と相反するものにあらず、数世之を行ふも今の経済制度の要素たる自由競争と私有財産は依然として存続すべく、決して彼の党の人々が理想とする所の資本家絶滅、土地資本の公有の域に達し得べき理無し、故に社会政策を以て社会主義に達するの一段階となすは、畢竟するに妄想にあらざれば忍んで自ら欺くの陋を学ぶものと云はずんばあるべからず是れ学会の弁明書に彼等の理想と手段とは相副ばざすを云ひ、猥りに社会政策の主張を取り来りて、一時を糊塗し、世の耳目を眩せんとするものなることを弁じたる所以なり。是れ独り彼の社会民主党の誤謬たるのみならず、欧州大陸の社会主義者も往々此誤謬に陥る。世の社会主義を云々するもの宜しく深思黙考して尤に做ふの愚を学ぶ勿れ。思ふに社会民主党一味の人々は或は直前勇往其の理想を実行するの気に乏しく、或は之を実行するの方案を造る能はず、或は自己に不抜の確信なきが為に一時、社会政策の主張を其綱領に代て人の視聴を惹き、後に至りて何事かを計画せんとするには非ざるか。然らば則ち其の標榜する綱領の中には党員が心に自ら信ぜざる方策を列して世間の耳目を眩耀するものといはざるべからず。社会政策を以て社会主義に達する径路なりとするは忘想なり、社会政策と同一なる方策を綱領に列するを以て直ちに社会政策は社会主義の一なりと速断し之を同類視するは抑も誤れり。一部類似の手段を以て全体を推すは不合理の甚しきものにして、阿部氏が挙示せる譬喩に云ふ「諸君は京都まで旅行すべしと云ひ余等は更に進んで神戸まで行くべしといふに在り」との言は更に意義なきに帰す、両者は目的に理想に全く相反す、たゞ偶々手段に同きあるを見るのみ、而して手段の同きに出たるは社会民主党の妄用又は誤用に由りて然るのみ、両者決して同一の線路を行くものにあらず。二個の平行線上を走るものにして終始相会すること無きなり。更に又た例を取らん乎両者は等辺多角形と円形との如し、等辺多角形は如何に其辺を多くするも逐に円形たる能はず、社会政策は如何に之を揣摩するも社会主義たらざるなり。両者の区別は巳に此の如く分明なり、然るに経済雑誌記者は軽卒にも直に阿部氏に同意を表し、余輩に向て同行を希望するを以て無理ならず却て至当の要求なりと明言す、而して之を至当の要求なりとするの理由を見るに阿部氏と同しく性質の差と程度の差とを混淆するの弊竇に陥る者の如し。記者の説に曰く共に製造主の専横を悪み、共に労働者に同情を寄するもの、共に労働時間を制限せんとするもの、共に労働保険を行はんとするものなり、故に同じと。何ぞ夫れ識見の浅膚にして思索の密ならざるの甚しき、余輩は労働者に同情を寄すること勿論なり、製造主の専横何人か之を悪まざらん、余輩は製造主の専横を悪むのみならず労働者の専横も之を悪み、何人といへども専横なるものあれば之を悪む。然れども余輩は一時の事実に対する一時の感情によりて立論するものにあらず、一切の事情に鑑み人類社会の理法に則り、専横不公平を生ずる所以の源を塞ぎ根を絶つの方策を施さんことを期する也。而して其の方策は社会政策の応用に存するを確信し、資本公有論を理想とする社会主義は決して此目的に合ふものにあらずと為す者也。而して記者は「社会主義者は結局資本を公有にせざれば此弊を除くべからずと信じ社会政策学会諸氏は此の如くに為さずとも能く其弊を防くことを得べしと信ずるにあるのみ」と明言し却て社会民主党諸士の同行の希望に左袒す。恰も同しく是れ米を食するの人、根本の主義異なるは問ふ所にあらず総て日本人なりと云ふ如し、米を食するもの何ぞ日本人に限らん、労働問題を云々する何ぞ独り社会民主党のみならん、人の説を聞て賛否を表するには今一層の注意と思考とを要すべきなり。経済雑誌記者の如く軽忽に透断すべきにあらず
経済雑誌記者が自由放任主義者たるの立脚点より来る誤惑は之を分ちて三となすを得べし。一は一切の立法は総て害なりと誤解し立法の弊を視て其の利を抹殺す。一は「マンチェスター」派の空理即ち記者所謂経済の理に耳目を弊錮せられて近世経済変遷の事体を忽諸に附す。一は自由放任主義に熱中するの余、社会政策学会の東京市街鉄道問題に対する言説を誤解す。是なり
余輩が極端なる利己心の発動と制限なき自由競争とは貧富の懸隔を甚しくするが故に、放任主義に反対すると宣言するに対し、記者は社会政策は却て極端なる利己心を発動せしむるものなりと抗議す。其説に云く製造主が奴隷を使役し、其随意に定めたる賃銀を以て、貨物を製造するが如き、職工団結して政府に迫り、婦女小児若しくは海外より低廉なる労働者を傭使するを禁じ、以て賃銀を騰貴し若くは就業時間を減縮せんとするが如きは是れ政府が法律を以て労働問題に干渉する場合に於て却て極端なる利己心の発動あるなりと。一二の悪例を挙けて全体を推すものたるは言ふ迄も無く、立法の弊を挙げて其の利を抹殺するものにあらずして何ぞや、一二の悪法を取り来りて一切の立法を害毒視するものにあらずして何ぞや。彼の奴隷制度の如き、米国分裂戦争以来、露国隷農解放以来は世界に殆んど其跡を絶てり、而して事の茲に至りたるは世運の進歩に伴ひ、政治経済の主義漸く発展し、国家個人の利害の真相を極め得て、遂に旧来の悪制政を打破し、今日の自由競争の世態を馴致したるものにて、何人か此悪制を再興せんとするものあらん、要するに、要するに奴隷制度の如き、個人独占業の如きは過去の悪政のみ、旧時代立法の弊のみ、今に於て喋々するの要なし。職工団結して不当の要求を政府に迫り政府之を納れて法律を定むるが如きことあらんか是も又立法の弊なり。余輩は此の如きの弊を除き自由競争の利を収めんことを期す。即ち公共の利益と国家の必要とを商量打算し、相当の範囲に於て或は立法により、或は個人の尽力により、之か救済を図らんと欲す。法制を以て極端利己心の発動を助長するは余輩の主義にあらず。社会政策の本領にあらず。職工団結して政府に求むるある決して非ならず、製造主、資本家相結びて其利害を防衛すると何ぞ異ならん、要は其の請求の当、不当、其の行動の正、不正を問ふべきのみ記者か挙示したる職工団結の例の如き若し不当の要求ならんか、断して非なるも、正当の理由存せば却て資本労働調和を生するの良法たるべし、法律を以て婦女小童の労役を制限若しくは禁止するが如きは、制度事宜に適し、施行其方法を愆らずは或は社会の風教を維持するに於て或は将来に労働者の生産力を増し、堪能なる職工を養成するに於て必す稗益する所あるなり。独り労働者の利たるのみならずまた資本家製造主の利たり即ち社会全般の利を生ずるの基なり、決して極端利己心の発動にあらず、社会全般の利福を目的とするものといふべし。外国労働者の傭使を制禁するが如きも時と場合とにより正理の必要存することあり、強ちに之を指斥し極端利己心の発動と為すべからず。但余輩は米国加奈太の例を以て直に之を可なりと云ふものにあらざることを諒せらるべし。之を要するに経済雑誌記者は一面を見て他面を察せず、物の実相を極めずして其の妄用のみを視るの弊あるものといふべし。余輩が所謂極端なる利己心の発動とは自由競争の間に起るものを指す。夫れ自由競争の弊は之を制限せざるときは、各々利己の念に駆られ競争の熱劇しくして他を顧みるの暇なく資本家は其の富を増殖するにのみ努めて社会の安寧労勤者の利害を度外視し巨富の力を以て壟断兼併を擅にし、労働者は無謀の行動を試み猥りに資本家を嫉視して却て其地位を不安ならしむるの結果を生ずるに在り。故に社会政策の主とする所は事の社会全般の利害に関するものは之を個人競争の裡より取り去りて公共機関に委し、又は個人の企業を制限して以て資本家と労働者とに論なく均しく其利に浴せしめんとす。若しくは婦女、小童の使役を制禁し、若しくは労働時間を制限し、若しくは労働保険の制を定め、若しくは工場法を設て、其地位を安因ならしめ、其生活を進歩せしめ将来の生産力を増殖するの基を為し、若しくは労働組合を完全ならしめ、若しくは調停局を設け、若しくは労働紹介所を設けて、資本家と労働家との関係を密にし、両者意志の疎通を謀り、両者の間には其利其害互に相頼ることを周知せしめ、反目嫉視、両者の利益を滅却するが如きと無からしめんとす。而して之を行ふには専ら国家の法制に待つあるも、必ずしも個人の尽力個人の企画を忽にするあらず、是れ我が社会政策なり。英国が其法制に於てトレード、ユニヲンを認許して之を助成し、調停局の成立を奨励して美果を収めたるが如き其の一例なり。極端利己心の発動は決して法律干渉に附随すべきものにあらず。余輩は国勢に鑑み人民の性行程度に応して相当の法制を設け、競争より生する弊害を匡正医治せんとするものに他あらんや
経済雑誌記者の説に云ふ道路を通し、橋梁を架し、港湾を設け、警察を置き、之を支弁するに租税を以するが如き、煉瓦家屋の間に茅葺家屋を築造するを禁じ、社会の費用を以て伝染病を予防し、危険なる製造所に向て改築を命ずるが如き、最多数の最大利益を目的とするものは自由放任主義者も異論なしと、其言ふ所を推及するときは記者の思想は或は余輩が云ふ所の放任主義にあらざるに帰すやも知るべからず然れども余輩は記者が自ら択びて標榜するに任ぜんのみ、社会政策の期する所は資本と労働と調認和を図り、多数の利益を公平に保護するに在るが故に、功利説は之を最多数の最大利益を主意とすと云はん是れまた其の言ふに任せて可なり。たゞ放任主義と社会主義と分るゝ所は経済制度に関して立法の干渉を要すと為すと之を否とするとに存することを忘るべからず。記者は危険なる製造所に向ひて改築を命ずるが如きに賛同するにも拘はらず、労働問題に於て国家の干渉を非とす、甚だ其意の在る所を見るに苦まずんはあらず。記者の説によるに労働問題は之を自由競争に放任して差支えなし、資本と労働とは自由競争の間にありて既に調和せり、之に政治干渉を試むるは経済の理に反すと、而して何故に労働は自由競争に放任して可なるや何故に法則の干渉は経済の理に反するやを詳説せず、又た自由競争の間に資本と労働の調和ある事実を証明せず。察するに記者は「マンチェスター」派の単純なる理論に心酔して近世経済の情態を熟知せざるならん、記者の所謂経済の理とは需要供給の事を指すならん、国家の制度を去り人民の性行程度を去り一切の歴史を去り一切の事情を去り人類を以て総て同一の程度に達し同一の情態に在ることを推定して後始めて自由競争の間に資本労働の調和あるを云ふを得べし。需給の作用に任せて可なりと云ふを得べし。然るに世態は決して記者の思ふが如きにあらず、乃ち知る記者の言ふ所は純理なり空論なり、記者は十九世紀以来の経済状態を知らざる乎、諸種器械の発明応用、運輸交通の進歩、生産機関の拡大は激甚なる自由競争を来たし、過大なる資本集中を生し、資本の勢力は益々重きを加へ、資本家は自ら保ち自ら大にするに急にして他を顧るの暇なく、為に自由競争の弊をして益々其の度を軼しめたるに方り、労働者の状態を察すれば、甚た寒心すべきものあり。一般産業の変革、富資の増殖は不知不識の間に生活の費用を増加するに反し、労働者の所得は之に伴はず、労働者の地位は更に進歩するの望少なく却て、退歩するの傾を生し、労働者は其地位を保つに苦むのみならず、或は職を求むること難きの情況を呈したり。此に於て乎、労働者の間には失望怨恨の声起り、資本家は競争の間に其の力を保つに狂奔して之を顧みず。或は倨傲自恣益々労働者の悪感を助長するが如きあり、為にストライキ起り、ロツク、アウト起り或は一時に多数工場の業を廃して一国生産の発達を阻碍し、或は一時に千万人の職工に職を失はしむるの悲憺を現す、而して此機に乗じ、一部の士、教育有り定職無き者、過激の言説を流布して世人の感情を翻弄し労働者の無知無謀を利して所謂共産党社会党の運動を起し、社会の調和、邦国の秩序為に撹乱せられんとす。是れ欧米各国に於ける十九世紀の経済情態にあらずや。此の如きは果して自由競争の間に資本労働の調和ありと謂を得べきか、此の如き弊端を生じたるは法制を以て労働問題に干渉したるが為めなるか、余輩は之を以て制限なき自由競争の余弊なりと断言するに憚らざるなり、十九世紀経済変遷に際し此の如き悲惨の歴史を演じ、社会の不調和を致したるは其の過或は資本家に在るあらん或は労働者の思慮を欠くに在るあらん。然れども深く其の因由を尋繹するに於ては経済制度より生ずる余病たるを知るに難からず。要するに無制限自由競争の病なり。余輩は之に対して医治を施さんとする者なり、而して其の方針其の理想は全く社会党一味の人々と異なり、余輩は一概に製造主を以て労働者を虐使する所の悪魔と視做すものにあらず又た労働者の不満は理由なく賛成するものにあらず、余輩は属僚の長官に於ける学生の教授に於ける、下婢の主婦に於ける多少の非難讒訴を聞きて、直に政府の干渉を要求するものにあらず、余輩は経済の法則に鑑み、生産分配の系統を明にし、個人の行動と社会の平和とに準拠し、法制の効力により資本と労働の調和を図らんとするなり、即ち経済の理に則り国家社会の利害を打算して相当の範囲に於て自由競争私有財産を制限するに在り、何ぞ経済の理に反せん。経済雑誌記者は云ふ、労働問題に法制の干渉を為すは経済の理に反すと。敢て問はん。足下の所謂経済の理とは果して何如。請ふ更に思考を費さんことを至望、至望。経済雑誌記者は自由競争の下に於て資本と労働と相調和するの例として近時の事実を挙げたるも是れ又一二の事実を以て直に通則に擬するの誤に陥りたるものといふべく。殊に怪むべきは彼の紡績事業繁昌の際大阪の紡績会社が争ふて工女を増さんとし終に他会社の工女を誘拐するに至りたることを例証としたるに在り、夫れ工女誘拐は刑法に於ても、社会道徳に於ても、之を非とすべきものならず、職工の為めにも資本家の為にも、一時の利の如く見ゆるも、終局に於いては害ならずや、即ち無限競争の弊にあらずや。記者が之を以て調和の例証に挙げたるは最も笑に堪へたり
東京経済雑誌記者は社会政策学会の東京市街鉄道問題に対する言説につき甚しき誤解を抱くものといふべし。余輩が自由放任主義を却け私有論に反対せりと云ふを非難して曰く自由放任主義に基ける私有論とは其の何の意味なるを解せずと余輩は記者が之を解する能はざるを怪まずんはあらず。余輩は自由放任主義は其の理想に於て必ず私有論ならざるべからずと信ずるものなり。若し公有に賛すといはゞ実に之を悦ぶ。齊一変せば魯に至らん。自由放任主義者も一たび覚らば社会政策の理に服するに至らん哉、記者云ふ当時民有論者と雖も之を自由に放任すべしと論じたるもの一人もなし唯々其の争は公納金の多に在りしなりと。思ふに記者健忘当時の事を想起せざるに由るならん、余輩は善く当時の事情を記憶す、公納金多少の争は市会議員の間に於ける大勢なりしも、市会議員以外に於て行動するものゝ中に全く民有を可とし公納金を課するすら理に合はずと論じたるもの少からず、市会議員のみの説を以て全体を?括するは不可なり、該問題は決して市会議員の専有にあらず。記者は云ふ、当時此事に関したる人物の中にて、自由放任主義を主持すと評すべきものは田口卯吉氏其人の他に一人も無かるべしと。此の如き言を為すは田口博士の迷惑する所ならん。市会の内に於ることは余輩之を知らず、現今に於て自由放任主義を云々するもの豈特り田口博士のみに限らん。余輩は当時此事につき頗る意を用ゆる所あり、諸名士の公開演説の如きは大抵行て之を聴けり。本郷、小石川両所に於ける田口博士の演説は明に公有論なりしことを記す。当時以謂く博士もまた我党の士と為れりと心窃に之を喜ひたり。たゞ当時民有論の勝利に帰したるは今に至るまで遺憾の至りなり。記者云く彼の醜穢なる民有論を以て自由放任主義に基くものとなす是れ自由放任主義者に対する非常の侮辱ならざるべからずと、理論の攻究は何ぞ彼の議員個々の非行と相関せん。余輩の争ふ所は私有、公有の利害得失に在り。記者請ふ邪推する勿れ、察するに記者の健忘なる記者の田口博士を贊仰すること切なる、自由放任主義を博士の人格に混同したるが為め斯る言を為すに至りたるならん。余輩はたゞ一般に民有論に反対したり、利慾の蔽ふ所となりて民有論を主張したる人々部は其罪悪顕然たり、厳に之を擯斥して止まず。余輩の言動は決して田口博士其人と相関することなし、記者請ふ之を諒せよ。今当時の形勢を語らんに市街鉄道の問題起るや公有私有の二論ありしも公有論は至て少かりしなり、公納金多少の争は私有派中に於ける課税収入の問題に帰し公有私有の争は多くは度外視せられ、公有論の根拠より公納金の増額を主張したるものは甚た稀なり、明々白々に公有の説を主張し万一、市の能力猶ほ幼穉にして之を行ふに難きことあらんを慮り仮すに数年を以てして公有を実行せしむるの目的を立て公納金の比準を定め、私有鉄道を無償にて市有に復帰せしむるの方策を提議したるは我が社会政策学会ありしのみ。記者若し当時我が会が発表せる市街鉄道公有意見書を一読せば之を知るを得ん社会政策学会の弁明書に市街鉄道問題を引証したるを怪まざるに至らん

〔2008年1月25日掲載〕


『経済叢書』明治34年12月





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