社会政策学会史料集



社会政策学会第十二回大会記事
       (国家学会雑誌第三十三巻第二号第三号掲載文により増減す)

同会文書係
 河津暹
 渡辺鉄蔵
 北沢新次郎
 上野道輔
 我が社会政策学会は十二月二十一日二十二日両日早稲田大学に於て第十二回大会を開催した。
 第一日を予定問題の報告討議に、第二日を公開講演に、而して第三日を観覧に充てたことは例の如く本会の予定したる順序は左の通りである。
社会政策学会第十二回大会順序
 第一日 十二月二十一日(土曜)午後一時早稲田大学講堂ニ於テ開会
一、開会ノ辞
一、討議 婦人労働問題 報告者
 京都法科大学教授 河田嗣郎君
 慶應義塾大学教授 阿部秀助君
 東京法科大学助教授 森戸辰男君
会員討議
一、 第十三回大会委員ノ選定
 第二日 十二月二十二日(日曜)正午十二時ヨリ早稲田大学講堂ニ於テ開会
一、講演
 取引所ト公衆 東京高等商業学校教授 井浦仙太郎君
 日米「最小生活費」論 北海道農科大学教授 森本厚吉君
 労働問題ノ精神的方面 早稲田大学教授法学博士 塩沢昌貞君
 権威ノ圧迫ト労働組合 慶應義塾大学教授 高橋誠一郎君
 労働保険ノ趨勢 神戸高等商業学校教授 瀧谷善一君
 智識階級ト労働者階級 京都法科大学講師 米田庄太郎君
一、閉会ノ辞
一、会員懇親会
 午後六時ヨリ大隈侯爵邸
一、縦覧 十二月二十三日(月曜) 印刷局、中央電話局
 右の予定は田崎氏の病気欠席其他の事情により、左の如く実行された。
 第一日 十二月二十一日(土)午後一時二十七分早稲田大学講堂に於て開会。添田寿一君、平沼淑郎君、桑田熊蔵君、神戸正雄君順次司会。
一、開会の辞 平沼淑郎君 自午後一時三十分 至午後一時四十五分
一、討議問題報告(非公開)婦人労働問題
 報告第一席 河田嗣郎君 自午後一時四十五分 至午後三時十分
 会員撮影
 報告第二席 阿部秀助君 自午後三時二十七分 至午後四時三十三分
 報告第三席 森戸辰男君 自午後四時三十七分 至午後六時四十分
 午後六時四十二分休憩
一、討議会(非公開)午後七時半開会。神戸正雄君司会。午後十時半散会。
 第二日 十二月二十二日(日)午後零時四十六分開会。神戸正雄君、塩沢昌貞君、司会
講演
 歓迎の辞 塩沢昌貞君 自午後零時四十六分
 第一席 塩沢昌貞君  至午後一時三十九分
 第二席 高橋誠一郎君 自午後一時三十九分 至午後二時二十二分
 第三席 井浦仙太郎君 自午後二時二十二分 至午後三時五分
 第四席 森本厚吉君 自午後三時五分 至午後四時三十六分
 第五席 米田庄太郎君 自午後四時三十六分 至午後五時二十分
 午後五時二十分散会
 左に其の経過の大要を誌せん。
 第一日(二十一日)婦人労働問題報告竝に討議
 第一日は昨年と同じく報告討議とも、之を非公開とし出席者は来賓新聞雑誌記者を加へて約百名。内に一二婦人の見えたことは一の喜ぶべき新現象として特に之を誌しおく。午後一時二十七分開会。早稲田大学教授平沼淑郎君登壇、開会の辞として、我が学会が多年主張して来った社会政策の思想が近頃漸く、我国一般人士の間に諒解されるやうになったこと、其の結果工場法その他の形式に於て我が学会の目的理想が幾分なりとも実現されるやうになったこと、而も猶、之を欧米諸国に比較するときは、我国社会政策の発達の極めて貧弱であること、及び此の際婦人労働問題を論議することが甚だ時機に適してをることを述べた。
 報告者は一般論河田嗣郎君、欧米に於ける婦人労働問題阿部秀助君、及び本邦に於ける婦人労働問題森戸辰男君、であった。
 報告の梗概は次の如くである。
 報告第一席 河田嗣郎君
一、婦人問題の意義=汎く婦人問題といふときは婦人が社会に対して人としての権利承認を求むる要求と職業及び労働に関して其の機会均等と条件緩和とを要求するを以て其の意義とする。此の意義よりして婦人問題には二方面の区別の存するものであって、其の運動も亦人権運動と労働運動とに分岐する。前者は一般的に社会生活に関係し然かも対男子の要求として表はれ、之に与はるものは多くは有産階級の人々である。然るに後者は婦人が労働者として有する要求に関するものであるから、男女の区別に重きを置かず、労働者の階級的意識を固め階級全体の地位の上進福祉の増加を図るを目的とし、従て一般労働運動と区別し難き者である。而して両者は別個の運動として併存するけれども時に共同運動を為すことがある。
二、婦人問題及び婦人運動の起原=(一)人権運動の起原は先づ第一には一般的啓蒙に依り婦人に於ける理智が目覚め其の人格の自由独立に関する自覚の明確となり来れるに存し、次には産業組織の革新に依り家庭に於ける婦人の用務の減じ或階級の婦人が力に余裕を得来りたるに存する。即ち余れる力を以て新たなる要求を社会に向って試みんとするに至りたるに由るものである。(二)女子労働運動の起原は第一には矢張前者同様に革命の結果家庭内に於ける女子労働の減じたる事に存し、次には或階級の人々が所得を外に求むるの必要を生じ、婦人も亦自己の為めに又は自家の為めに出でて雇傭労働に従事せざる可らざるに至りしことに存する。
三、女子労働問題=欧米諸国に在りても女子の労働は甚だ重要なる社会上並びに経済上の意義を有って居るが、我国に在りては、現今労働者と呼ばるゝものゝ中に在りては女子労働者の数は男子労働者の数よりも遙かに多く、ざっと女子五割五分男子四割五分といふ状況である。而して年を経ると共に女子労働者の割合は増加しつゝある有様である。従て現今我国の労働問題としては女子労働問題は実に重大なる意義を有し、其の保護に関する社会政策や、其の将来の覚醒運動などに関する研究は最も興味ある問題と謂はなければならぬ。
 女子の労働に関して重要なる研究事項は其の労賃に関するものである。女子労賃が男子労賃に比し一般に低安なるは諸国の実状の示す所であるが、其の原因は(一)女子は一般的に男子よりも劣れりとの因習的観念の存すること(二)女子労働は能率劣れりとせらるゝこと(三)女子労働者は病に罹り易きこと(四)女子労働者が、多く年少者なること(五)女子は家庭に於て無報酬労働に慣れたるが為めに家庭外に於ける労働に対しても十分なる貨幣価値の認められざること(六)女子労働が多くは一家経済の補充の為めにせらるゝこと(七)結婚費又は小使銭の為めにせらるゝ労働の多きこと(八)売婬に依りて労賃が補充せらるゝを得ること(九)女子労働者間に団結の欠け雇主に対する要求の有力に行はれざること等に存す。此等の諸事情に関する改善の必要なるや太だ賭易き所である。
 最後に女子労働者間に労働運動の起り来る気勢の生ぜると共に、彼等の間に組合を造り団結を為して自助の道を講ぜんとする風大いに起り来ったが、然し従来兎角其の十分なる発達を見ることが出来なかった。其の理由は(一)女子労働が一時的性質を有し生涯労働者たる者の少きこと(二)結婚と共に女子は経済的独立に対する希望を抛ち其の努力を止むること(三)女子労働者の智識低く、利己心強く、猜疑心深く、共同利害に対して無関心なること(四)女子労賃低きに失し組合費支弁の余力なきこと(五)共同運動に対する訓練の足らざること(六)雇主側に於ける威圧の行はれ易きこと(七)女子労働者の組合運動に対する男子組合の不熱心及び或場合に於ける反抗運動の行はれたること等に存する。
 けれども近時に至りては女子の組合運動に関する此等の障礙は漸次に除去せられ、英国などに在りては有力なる女子職工組合が多数に表はれ来ることとなった。又彼の社会主義的なる新組合運動の如きも之を女子労働者間に見るを得るに至った。要するに此の組合運動に関する今後の発展は大いに研究に値する興味ある問題たると同時に、其の成否は軈て女子労働運動の前途を定むるに足るものと観ることが出来るであらう。
 報告第二席 阿部秀助君
 「婦人」を対象とする問題に対する深き理解が「体験」(Erlebnis)の上に築かるゝとせば、「性」の相違点に立てる吾人は斯くの如き問題に対する真の解決者たる資格を有するものでない。論者の信ずる処を以てすれば婦人労働問題の真の解決者は婦人労働者其者に対して深き理解と温かき同情とを有する教養ある婦人に存するのである。「生産」なる意義を極めて広義に解すれば普通営利行為を営む婦人は二重の生産行為、即ち生殖的行為と経済的行為とを営むものである、少くとも斯くの如き運命の下に存するものである。而して婦人労働問題の多様性は実に此点に起因する処が多いのである。即ち以上、両行為の具体化たる既婚婦人の労働に就きて考察するに、斯くの如き労働者の存在する理由は、これを二個の見地から観察することが必要である。即ち其一は雇主即ち企業家の方面から見た理由であるが、之れを独逸に就きて見るに彼等の大多数は既婚婦人を使役することを悦ばざるも然かも独身者の婦人労働者のみにては、其数の不足することゝ、既婚婦人の労銀が低廉なることゝ、彼等の中に特種の工業に対して特別の技能を有する者のあることゝが、彼等の経済上に使役せらるゝ所以である。更に労働者の立脚地に立ちて彼等が職を求むる動機としては(一)一時的又たは永久的に一家の経営が一に婦人の責任に帰する場合(二)其夫が一定の職業を有するも其所得が未だ一家族の生活を維持すること能はざる場合(三)其夫が浪費者である場合に於ける生計費の補充等である。次ぎに斯くの如き婦人に対する労働問題にして注意す可き点は、彼等の健康上、或は子女の養育上彼等の就業時間を減少することが絶対的に必要なりとせば、如何なる方法を以てすることが企業家にとりて同時に労働者にとりて共に有利なるやの点である。此点に就いては家内工業に対して多少の余裕を生じ得る Halbzeit system を以て策の得たものであると信ずるのである。次ぎは婦人工場監督官の任命の問題であるが、吾人が婦人の任命を主張する理由は、必ずしも彼等の多くが工場監督官の一般的資格たる(一)常識の発達(二)高潔なる人格殊に労働を愛する信念(三)技術的修養(四)衛生的智識(五)国民経済及政治上の智識に於て充分なる資格を有することを認定した結果ではない。吾人が婦人の工場監督官または婦人の工場監督官補の任命を必要とする理由は、我邦現時の工業が婦人労働者特に Schamgefuhl に富む未婚婦人に俟つこと多き点と、婦人のことは婦人が一番能く理解してゐることの常識論の上より之れを主張するものである。即ち我邦に於ける工場に対する比較的完全に近き監督は男子の工場監督官又たは監督官補と女子の工場監督官又は監督官補と互に各自の長短を相補充することによって可能なりと信ずるのである、更に第三の問題としては我邦工業の将来にとりて最も興味ある問題である、海外の婦人労働者輸入問題である。今之れが例証を欧州に求むる時は、彼の山の波打てる瑞西がそれである。同国の工業殊に織物及懐中時計に関した工業は国内よりして充分な労力を求むること能はざる結果、主として伊太利方面から低廉な労力を輸入したのであるが、然し最近、同国の北部方面に於ける工業の発達と同国政府が瑞西に赴く、婦人労働者に対して厳重な監督制度を設けたことは、瑞西の企業家をして此方面から労力を充分に輸入することを困難ならしめ其結果、マセドニャ方面から更に低廉な労力を輸入するに至ったのである。而して同国の此方面に対する経験は、女工の募集難に悩める我邦企業者の参考に供す可き価値あるものと思ふ。之れを要するに論者が報告中、大方の批判を仰ぐ点は主として次ぎの諸点に存するのである。(一)婦人労働問題の理解あり同情ある解決は教養ある婦人の手に握らる可きこと、(二)婦人労働者は出来る丈け家庭の人たらしむること当人の幸福上必要なり(三)婦人労働者の生産的能率は一般世人の信ずるよりも大なり(四)既婚婦人労働者に対しては出来る丈 Uberarbeit を防止すること必要なり(五)婦人其者を理解する必要上より吾人は婦人監督官の任命を主張す(六)我邦に於ける女工の募集難は海外に於ける低廉なる労力輸入に注意する必要あるや如何の諸問題である。
 報告第三席 森戸辰男君
 (一)我国に於ける職業女子の数並に其の発展は、国勢調査のないために、特殊のものに関する以外には殆んど精確なことを知り難い。市又は郡勢調査の行はれた地方の状況を標準として推算して見ると、大正二年に於て約千三百万の女子(女子総数の約半数十四歳以上の女子の約八割)が直接間接に営利活動に従事して居る。併し彼等の約七割九百万は所謂手助家族であって、職業女子たると同時に家庭の人である。残り四百万人中の約五分の一は下婢であって之れ又家庭内にあるものであるから、我国の職業女子の大部分は未だ家庭的である。併し我国に於ても既に家庭外に於て営利活動をなして居る狭義の職業女子もかなりあり、大正四年に於て、其の数は、
女工 五九五、二二三  女鉱夫 六〇、九四八
女教員 四八、四七六  女事務員 一九、六六六
芸妓娼妓酌婦 一四一、二二六  産婆 三一、八五六
 (備考)女工は当時職工十人以上を使用する私立官立工場合計、女教員は幼稚園保母、小学校高等女学校教員合計、女事務員は鉄道院為替貯金局郵便電信電話局職員合計。
の如く、而も之等のものゝ数は年と共に著しき増加をなしつゝあるのである。
 (二)此等の女子職業より生ずる問題は、彼等職業女子の地位が、少数の自由職業以外に於ては、極めて劣悪なる点である。彼等は封建的専制と資本的専制とによって前後より圧迫され、その生活を特徴付くるものは、人的隷属と、低き地位と、廉き賃銀と長き労働時間と、不完全なる住居と、不良なる営養とである。彼の労働が結婚と結合しない前に於て、既に彼等の健康と教養とは著しき損傷を被りつつある。既婚職業女子の生活状態の如何に悲惨なるかは推して知るべしである。
 (三)斯の如く女子職業の発展したる原因は結局資本主義の発展と自由思想の普及とに帰せらるべきものである。即ち一方に於て職業の分化に伴ふ家庭に於ける女子負担の軽減と男女数の比例、結婚年齢、結婚率等の人口関係の変動とは女子労力の供給を可能にすると共に、民衆の貧困、生活程度の上進、女子の経済的独立の要求はその供給を必要とし、他方に於て企業の分立、労働の特化、機械の使用、新職業の成立は女子労力の需用を可能にすると共に、営利の原則は低廉なる女子労力の使用を必要事となした。而して女子労力の低廉は、家族が経済生活の単位たることゝ、家族生活に於て女子の地位の低きことゝにその根本原因を有するものであるから、遽かに之を変ずることは困難である。要するに資本主義と自由主義との是認せらるる現代に於ては、女子職業問題は必至の運命である。故に前者と引き離して後者を解決せんとするのは結局無駄骨折りである。
 (四)現代に於ける女子職業問題解決に関する思潮は大凡三つある。一つは、女子労働放任論で之には亦資本家的不干渉論と女権論者の職業万能論とがある。次は女子労働否認論で、之には所謂保守主義者の良妻賢母論と進歩的母性保護論とがある。終のものは女子労働改善論で、之には資本家的不干渉論と良妻賢母主義との混血児に過ぎない妥協論と、女子職業問題発展の原因に着眼しつゝ男権及金権の漸次的廃除によってその目的を到達せんとする社会改良論とがある。
 (五)女子職業問題解決の実際的施設に就いて見るに職業女子の自助的施設は殆んど云ふに足るものなく、雇主の福利増進施設は近頃中々行はれるようになったが、之は大体に於て仮面を被った女子奪掠手段に他ならぬ。第三者殊に国家の施設としては、今日娼妓取締規則、鉱業法及工場法等があるのみで、而もその程度は極めて不充分なるが上に、その励行に於て頗る徹底を欠いて居ると言ふ有様で、寔に望洋の感なき能はずである。
 休憩後七時半過に至って会員の討論に移った。神戸博士が司会者の席につき開会を宣し討議の方法に関し希望を述べられた。討議は河田教授の報告を中心として起った。森本教授は質問の第一矢を放つ、河田教授は婦人労働問題は婦人の知識が進んで自発的に起ったものゝように説かれたように記憶するが、婦人の労働は不熟練労働が多く、従って労働問題もこの種の労働者に関係することに想起すれば、其説明に疑を抱かざるを得ず、又河田教授は婦人労働者は其収入を多くする為に醜業をなすこと多しといはれたが、其のことを証明することを得るやと質す。河田教授は軽く之に対し予は報告中文化問題と労働問題とを区別したる積りなり森本教授の意見と予の意見と大差なしと信ずと応へられた。森戸教授も立ちて娼妓の前生活は工女が多いことは統計的に証明することを得然し醜業を営むに至るは工女の賃金が少き為には非ずして他の原因より来るものなるべしと思ふと論ぜらる。森本教授は尚質問を続けて醜業のことにつきては河田君は如何なる根拠に由りて説を立てられたるか与り聞くことを得んと。河田教授は予の見聞を根拠としたるものなり、而して密娼制度の行はるゝ所と否とに由り自ら関係も異るものあらん、研究せば或は面白い結果を得るやも知れずと説明せらる。大西教授は阿部教授に対し婦人労働者の賃金の甚だ少きは、畢竟婦女子を虐待するが為なりと論ぜらる、森戸報告者も同意見なりしものゝ如し、然し之を救済するが為に賃金を増せば資本家を苦ましむる結果を生じ、我国経済の発展を害することなきや、即ち生産政策分配政策何れに重きを置くべきか頗ぶる重大なる問題にして、本問の解決には是非共之を定め置かざる可らず、特に我国の如き自然の富源乏しき国に於ては然らざるを得ず、御高見如何と。小川博士は立ちて大西君の質問は頗る重大なり、之を討論せば恐く多くの問題につき説明を聞くことを得ざる可し。故に予は其問題に入るに先ち小問題を質問せん。阿部教授は工場監督官に女子を採用すべしといはれたり其条件如何、婦人の加はる労働の限界は如何御高見拝聴したしと質問の方向を変ぜらる。阿部教授は工場監督官となす条件までは考へ居らず、婦女子の入るべき労働の範囲は戦時と平時とは異るべく、其他経済社会の状勢に由りて異るべきが故に、一概に明定すること能はざるべしと信ずと述べらる。小川博士は婦人の工場監督官は法律経済の知識あるものならざる可らずと考ふ。御意見如何と。阿部教授之に応へて勿論必要なるべし、然し其の上に同情心あることを必要なりと思ふと。福田博士は河田君に質問あり、河田君は労働問題は婦人が子を生むこと少くなりしが為なりといはれたり其の説明如何と。河田教授は予は婦人が児を生む必要が少くなりしが為なりといヘり、昔は私経済にては子の多きを喜べり、労働を要すること多きが故なり、然るに機械等の発明ありてより労働の需要稍少くなり、従て子を生む必要少くなりしといへり。河田福田両氏の間に出生率と経済との関係につき二三の押問答あり。小川博士は阿部君は婦人の行政官となるに適する如くいはれたるも、森戸君は婦人の能力につき悲観的説ありし如し、其点につきて説明ありたしといふ。森戸助教授は予は女子の能力につきていひたるにあらず、女子も其能力あるは勿論学校の教育の改善に由りて其の能力を発達せしめ、男子と同等になすことも不可能にあらざるべしと説明す。阿部教授も工場監督官に女子を採用するとも其数少きが故に其資格あるものを得ること難からざるべしといふ。矢作博士も阿部教授の説に賛成し、婦人が工場監督官となること困難にあらず縦令不完全なりとするも之を補充する道ありといはる。高野博士は出生率の減退の事実につき欧州諸国の状況を説明し、且つ婦人が工場監督官となるは決して困難にあらずと主張せらる。武藤教授も九州に於ける婦人労働につき見聞する所を陳べらる。内藤教授は、河田君の婦人労働の最後の案は労働組合の設立にあるものゝ如く思はる、然るに森戸君は国家の施設に重きを置かる、其点につき一応の説明ありたしと。河田教授之に応じ予は労働組合を主張するものである、今日は或は婦人の間に労働組合は生ぜすとも、他日は必ず起るべし。世間も之に対し援助すべきものなりと説明す。内藤教授は然らば知識階級の指導に由るか自発的なるかと問ひ返す。河田教授は双方に由らざる可らずと応ふ。森戸助教授も亦予は現在の事情の下に於ては、婦女子の自助的施設なしといひたり。然れども他日この種の施設起るべきことは河田君の意見と同じと弁ず。小川博士は阿部君に問はん、婦人労働の傾向は如何といふ。阿部教授は之に応ふる所あり。塩沢博士も亦阿部教授の説を補ひて其意見を陳べらる。問題は前に大西教授の提出したるものに舞戻りて、大西教授は福田博士に労働条件と能率との関係につきて問ふ所あり、福田博士之に対し多くの事例を挙げて説明する所あり、生産政策分配政策の関係につきて説明する所あり、小川博士も亦之に関し意見を陳べらる。この問題は独り婦人労働にのみ関するものに非るが故に、他日の研究に譲づることゝなった。問題は一転して食料と婦人労働の関係に及んだ、矢作博士は之について詳説する所あり、工場に於ける労働者と衛生健康の関係については専門家の説明を聞くことになった。其より問題は益々拡くなって時刻の移るを知らなかったが、十時半迄となったから、司会者はこゝに閉会を宣し討議はこゝに段落を告げた。討論に加はったものも、討議の範囲も前年に比較して多く且つ広かったが、討議が尚未だ組織的になることが出来なかったから、多くの専門学者が有益な説明をなされたに拘らず、聴者にとりては明白なる印象を残すことが出来なかったことは遺憾である。この感想は恐くは筆者のみではあるまい。この点につきては会員諸君の研究を煩はしたいと存ずる。
 第二日(二十二日)講演
 午後零時四十六分より早稲田大学講堂に於て開会、聴衆堂に満つるの盛会であった。神戸正雄君開会を宣して司会者席に就き、左の如く講演があった。
 第一席 労働問題の精神的方面 塩沢昌貞君
 労働問題は単に労働者の問題に非ず、同時に資本家の問題である。而して元来労働者の自覚に因って発生した問題であって、且つ其の解決もまた労働者の自覚に拠らなければならない。是れが即ち労働問題の精神的方面であって、普通主として議論されてをる物質的経済的方面は之れと相俟つに非ざれば労働問題を完全に解決することは出来ないのである。近頃我国に於て二三試みられた産業共同制 Industrial Partnership or Co-partnership が不結果に了りたる如きは労働問題の物質的方面を偏重した結果であって、其の精神的方面の重要なることをよく証するものである。我が国の労働者は多年の圧迫の結果知識の程度低く、利己心猜疑心が強く、同僚間の義理は固いが、一般社会的の同情は頗る之れを欠いてをる。而もこの社会的同情心の範囲の広狭こそは人文発達の程度を測定する標準であって、種族時代と国家時代を比較するもこの事は明白なのである。換言すれば資本家も労働者も先づ最初は営利を目的として機械的に経済活動をなし、次で個人としての自己を考へて自主的となり、最後に社会的人間としての自己を認識するに至って社会全般の福利を慮り、社会的同情心が発達し茲に社会的奉仕 Social Service の精神となりて経済的方面と精神的方面の一致調和を来すのである。労働問題の解決はこの程度に於ける自覚が労働者並に資本家の間に起ることを必要とするのであって、これが為めには労働者の訓練教養を最も急務となし、殊に労働組合の建設発達は一日も早く之れを計らなければならぬのである。
 第二席 権威の圧迫と労働組合 高橋誠一郎君
 「日本国民の生活は英国民のそれにおくるゝこと約一世紀半である」と云ふシドニー・ウエッブ氏の言は少くとも労働運動に就いては当ってをるから、茲に英国初期の労働運動に就て研究を試み、権威の圧迫が如何に有害であったかを述べやう。
 十八世紀の末産業革命の結果、従来利害関係並に社会上の地位を等しくしてゐた親方と職人とが二個の社会階級に分れ資本家と終生賃銀労働者とになった。而してまた国家干渉時代が既に過ぎて自由主義の時代となったので労働者は全く資本家の虐使に委せられることとなった。此に於て彼等は自衛の途として、先づ第一に治安判事、議会等に請願して法に訴へて自己の地位を守らむとしたが其の効なく、却て徒弟条例の如きは一八一四年に廃止されることとなり、彼等は此の方面に救済の望を絶つの已むなきに至ったのである。そこで自助の手段に依って一時的団結同盟罷工を以て雇主に対抗したのであるが、之れも失敗に終った。加之仏国革命及び自由主義の影響と資本家階級の要求に依って制定された組合禁止法は益々労働組合の健全な発達を妨害した。次で那翁戦役の終局を受けて労働者の境遇は悲惨の極に達したのである。然るに彼等は救済を議会や政府に仰ぐも益がなく、又自助的手段に依らむとすれば罪名を負はねばならぬ。此に於てか秘密結社が勃興し過激兇悪なる手段が行はれるやうになって、労働運動史上に戦慄すべき幾多の記録が残されたのである。かくて遂に大暴動は一八一九年、二○年、二三年と相次で起り、而して有害なる組合禁止法は翌一八二四年に至って漸く廃止されることになり、更に一八二五年になって労働者はここに完全なる団体契約の権利を獲るに至った。かくの如く英国初期に於ける権威の圧迫は啻に健全なる労働運動の発達を阻害したるのみならず労働者階級に階級的反抗心を起させ善悪正邪の判断を失はせ、兇暴過激な危険思想を抱かしめ、破壊的手段を採るの已むなきに至らしめたのであって、其の禍は永く伝ったのである。
 吾人は先進国に於ける此の如き歴史に鑑みて、吾が採るべき道を選ばねばならぬのではないか。
 第三席 取引所と公衆 井浦仙太郎君
 取引所と社会政策との交渉は甚乏しい。先般の米騒動及び現時の物価調節は大問題である。米不足が米価騰貴となるは止むを得ないが、米に関する投機が米高を激成したのは確実と見らるゝ。通説によれば賭博は有害、投機は有益なるもので、投機は保険的且指導官能を有し物価の平準をなすものとせらる。然かも往々斯く理想通りには参らぬ。米高となれば益々欲しがる又は売惜しむ。米安となれば投げ出す。即ち騰落の勢を激成する。取引所で売買の行はるゝ以上は必ずや弱気の売方も有って、之が米価高を緩和するものと見られもするが、此売方が敗退すると、其後は強気のみが残って、強気同士売買循環して上げて行く許りである。此の如く観じ来れば投機も或程度迄抑制すべきものであろう。
 然るに投機の取締は各国何れも失敗の歴史を有する。宗教家の説法も効が無い。現戦争は公正人道の勝利だけれども此等も投機者あたりには中々利かない。国家の威しも其甲斐なきことを証明せられた。米価公定は結局生産分配機関の国家的管理迄進まねば其実行覚束なく、米の専売案には種々の方面から困難と弊害が伴ふ。且つ私見によれば之は煙草専売の如く収入を目的とするもので無いから専売不要のとき労費徒に大では無かろうか。エメリーは私有財産制度の廃棄せらるゝにあらざれば投機を根絶することを得ずと云ふて居るが、此くまでする必要はない。私案によれば政府は米の生産分配に就て不断大々的調査を行ひ且つ其調査の結果を常に発表して先物相場の必要を根絶したら如何かと思ふ。投機の要素として其処に不明の点が有り之を先見することを要するが、此点が絶対に除かるゝとなれば投機の余地は無くなるべきものである。仮りに一部分調査が行届く丈としても投機の見込正確となり其公定相場は公正にして信頼するに足るべきものとなるであらう。且つ此調査が行届ける時には一朝事変の為め食料動員の必要なる際にも急速に実行し得る利益があろう。現状に於ては政府の調査は不満足で而も其れが往々発表せられずに終ると云ふ。実の処米の生産費さへも的確に分らぬ。尤も此調査の為めに技術上の困難もあるが、其は覚悟の前であるし、同時に経費も少なからず要するが国民食料の為めには平時大海軍費の負担を厭はぬ例もある。扨斯く調査を発表するとしても取引所は市場として勿論存続するであろう。而も其公定相場は所謂 best, fairest and more scientific のものとなるであろう。
 第四席 日米最小生活費の研究 森本厚吉君
 我国民生活の横断面を研究して見ると全国九百七十万戸の内九十八%は単に「生存」して居る貧民で僅に二%だけが「生活」しうる資格を有して居る。最小生活費すらを得る能はざる国民生活の能率は憐れなものである。日米の幼時死亡率は我国は米国よりも非常に大である。而して一家の所得の多少と乳児死亡率とは明に反比例することは最近米国の統計が示して居る。最小生活費問題は我国では未だ新しきことで其研究は非常に困難であるが国民経済上真に枢要なる根本問題と云はねばならぬ。所謂生活の標準には二種類ある、一は必然的欲望、狭義の満足に適合したる生活の状態であって之を生活の絶体的標準と云ひ其費用を生存費と云ふべく、二は「必然的」の他に「応分的」及び「快楽的」欲望満足に適合したる生活の状態であって之を生活の能率的標準と称し其費用を最小生活費と云ふべし。此費用を決定するには食衣住の値段から打算せねばならぬ。生物化学の研究を基礎として普通の労働に必要なる一人一日の食費は東京市で大正三年には廿八銭であったが大正七年は五十四銭である。一家五人が一ヶ年に要する最小生活費は食費五百四十七円、被服費二百二十円、住居費三百八十五円、其他の費用八百二十四円合計二千〇七十六円である。今千円以下の所得を有するものを貧民とし、千円以上三千円以下を中流とし夫以上を富者とすれば貧民は九十八・四%の多数を占て居る。之を我二十二万五千人の文官に就て見るに人員百分率九十五・九は判任及雇傭で其平均所得は五百八十一円と三百三円で皆貧者である。三・八が奏任で其所得千八百九十四円で中流の下、僅かにに○・三が勅任で其収入四千○二十三円富の下に位するのである。斯の如き悲惨なる国民生活を救済して能率ある生活を営ましむるには収入の増殖を謀ること及び生活の改善の二法がある。千九百十八年の研究に依ると米国大都会の最小住活費は二千八百七十円で我国のものとの差額は大に減少して居る。而して其費目百分率を比較すると次の如である。
     食費  被服費  住居費  其他   合計
 日   三五   一〇   一七  三八  一〇〇
 米   四三   一五   一二  三〇  一〇〇
 此相異は我国民の生活改善に必要なる要点を掲示して居る。我食物は一方には豆魚類等の安価にして滋養多き食料の多きこと、脂肪をより少く炭水化物をより多くとる常習を有すること、又一般に野菜を多く用ゆること等の優勝な点あるも他方には蛋白質摂取の不充分なること、日常食料の少なきこと、米及漬物を過度に多く食すると及び調理に余りに多の労力を要すること等の欠点を有し概して我国民は営養不良の害を受て居る。被服、住居其他に於ても彼我の長短を能く研究して生活の改善をはからねばならぬ。要するに国民一般に経済学殊に消費に関する智識の普及をはかること、家庭経済学の研究を盛にすること、及び政府に労働局を新設し広く家計の調査を行ひ、研究資料を豊にすること等は現今の急務である。
 第五席 智識階級と労働者階級 米田庄太郎君
 現代の社会に於て最も勢力のある社会階級は、資産者階級と労働者階級との二である。前者は財産を有し財産所得を生活の基礎となし、財産の力を以て社会的政治的勢力の基礎となさんとするものであり、後者は財産を有せず、労働所得を生活の基礎となし労働の力を以て社会的政治的勢力の基礎となさんとするものである。而して政治的革命とは、資産者階級が貴族階級を圧倒して、其の支配階級の地位を占めむとする運動を言ひ、之に対して社会的革命とは労働者階級が資産階級を圧倒して、支配階級の地位を占めむとする運動を意味する。而して孰れの階級にしても支配階級の地位を得んとし、或は得たる後之を確保せんとするには、其の要求を理論的に正当なるものとして世人に認めしめることを要し、之れには一定の哲学宗教芸術道徳等を必要とする。然るに資産者階級も労働者階級も己れ自身に於ては之を創設し発揮し得るの力を有してをらない。従って専ら此の任に当る特定の社会階級を必要とする、知識階級なるものは即ちこれである。故に社会学上知識階級とは知識や技能の力によりて資産者階級や労働者階級に尊重せられ、知識所得を以て生活の基礎となす人人を総称するのである。
 労働者運動の発達に於ても此の知識階級の助力は与って大に力があった。即ち知識階級が労働者階級の要求を摂取して之れに哲学的倫理的法理的の基礎系統を確立して茲に始めて労働者階級の合理的組織的運動が発達し始めたのである。加之、現代文明国の現状に於ては、知識階級の生活状態が漸次労働者階級のそれと同様になり来った結果、此の二個の社会的階級の利害や感情や要求が接近して来たのである。即ち知識階級の人人が少数であって、資産者階級に使用せられ或は保護せられて安楽に生活することの出来た時代は過ぎ去って、今や多数の高等遊民が少額な知識所得に甘んじ、困難にして且つ不安なる生活を営まねばならぬ様になったのである。されば彼等は直接労働者運動に参加せず或は其の組合や政党に加入し得ないに拘らず、常に労働者の運動に同情を有し、之に援助をしてをった。併しこれ丈けでは知識階級者が自己の生活状態を改善する事は出来ない。これが為めには彼等自身も亦労働者階級と同様に組合的政党的運動を起さなければならない。是れ近来所謂新中等階級運動なるものの起って来た所以である。而も此の運動は単独では有力なものとなり得ないものであるから、其の要求感情等に於て共通点の多い労働者階級の運動と同盟或は合同することが最も有効な方法である。これには両階級の者が従来の僻見や侮蔑心等を棄てて同一階級に属すると云ふ観念を抱くやうにならねばならない。然るに上述の如く知識階級の生活状態は益々労働者階級のそれと接近し来り、又今回の大戦争は益々此の傾向を助長せしめる種々の事情を作ったのであるが、ここに昨年(一九一七年)十月に英国労働党の組織改造が出来したのであって事実上両階級の合同は成就したのである。察するに爾今英国労働党の運動はかくの如くにして益々勢力を拡張するであらうし、又其の知識階級の一部分が政治的に労働者階級と合同する事によりて益々労働者階級の影響を受け、労働組合と同精神を有する組合を彼等の間にも組織することになるであらう。
 翻って我国現今の社会問題を看るに、労働者階級はまだ一般に甚だ幼稚にして、経済的にも政治的にも何等の組織的運動が発達してゐないが、知識階級の人人は既に可なりの数に達してゐる。而も彼等の生活難の叫は労働者のそれに比して、一層強烈に起りつつある。故に、今日我国の社会問題は労働者問題よりも寧ろ知識階級問題である。而して将来発達の経路も亦順序として、先づ知識階級の運動が起り、次いで労働者階級の運動が起り、而して後両者が合同すると云ふ形になるべきであらう。
 時に五時二十分司会者神戸正雄君閉会を宣す。
 会員懇親会 午后七時大隈邸に於て開会、出席者四十二名、先づ桑田幹事の拶挨あり遠来会員の労と早稲田大学の好意とを謝し、大隈候の卓上演説あって後、神戸正雄氏は遠来会員を代表して答辞を述べられた。歓を尽して宴を閉ぢ会務の処理に遷る。次回の討議問題は労働組合に決まり左の十一名を第十三回大会委員に選定した。
 金井延 左右田喜一郎 稲田周之助 森荘三郎
 山本美越乃 渡辺鉄蔵 高野岩三郎 桑田熊蔵
 中島信虎 井上忻治 阿部秀助
 第三日(二十三日)縦覧 印刷局、中央電話局
 夜来の雨が朝から雪となって、寒さと道悪るとで縦覧は頗る難儀であったが、有志十数名は午前十時印刷局に集合し先づ同局を縦覧し、午後三時過ぎ、更に中央電話局に赴き日暮るるまで詳細婦人労働の実情を視察した。此の機を利して深く両局々長の好意を謝する。唯印刷局に於ては徒に技術方面の縦覧のみを許して吾が学会の研究せんとする社会政策的施設の方面の視察を殆ど全く許されなかった事は頗る遺憾に堪へざりし所である。


〔2006年1月2日掲載〕




《社会政策学会論叢》第十二冊『婦人労働問題』(同文館、1919年10月刊)による。





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