社会政策学会史料集



社会政策学会第十一回大会記事
       (国家学会雑誌第三十二巻第二号第三号掲載文により増減す)

同会文書係
 河津暹
 内藤章
 小泉信三
 森戸辰男
我が社会政策学会は十二月廿一日同廿二日両日を卜し第十一回大会を専修大学に開催す。
第一日を予定問題の報告討議に、第二日を公開講演に、第三日を観覧に充てしこと例の如し。本会の予め定めたる順序左の如し。
 社会政策学会第十一回大会順序
 第一日 十二月二十一日(金曜)午後一時 専修大学大講堂に於て開会
一 開会の辞 東京法科大学教授法学博士 金井延君
一 討議 小工業問題 報告者
 京都法科大学助教授法学士 河田嗣郎君
 ドクトルオブフイロソフィー 服部文四郎君
 東京高等商業学校教授商学士 上田貞次郎君
 会員討議
一 第十二回大会委員の選定
 第二日 十二月二十二日(土曜)午前九時 専修大学大講堂に於て開会
一 講演
 本邦ニ於ケル下層金融機関 東京高等商業学校教授商学士 内藤章君
 農村問題の文化的背景 東京農科大学助教授農学士 那須皓君
 といんびーニ就テ 長崎高等商業学校教授商学士 武藤長蔵君
 大企業ニ就テ 東京法科大学教授法学博士 山崎覚次郎君
 物価騰貴ノ影響 慶應義塾大学教授法学博士 気賀勘重君
 戦時及戦後ノ英国労働者運動 早稲田大学教授ドクトルオブフイロソフィー 北沢新次郎君
 工場法ト災害保険 東京法科大学助教授法学士 森荘三郎君
一 閉会の辞
一 懇親会
 午後五時より専修大学内
一 縦覧 十二月二十三日(日曜)
 左の予定は諸種の事情により実行上次の如き変更を見たり。尚各講演者の登壇順序及時間を掲ぐれば次の如し。
 第一日 十二月廿一日(金)午後一時三十分開会、金井延君、河津暹君、中島信虎君、桑田熊蔵君、河津暹君、順次司会。
一 開会の辞 金井延君 自午後一時三十五分 至午後一時四十九分
一 討議問題報告(非公開)小工業問題
 報告第一席 添田寿一君 自午後一時五十分 至午後二時五十五分
 報告第二席 上田貞次郎君 自午後二時五十七分 至午後四時四十五分
 報告第三席 服部文四郎君 自午後四時四十七分 至午後六時二十分
 午後六時二十二分休憩
一 討議会(非公開)午後七時十五分開会。桑田熊蔵君司会、討議参加者の氏名左の如し。
 福田徳三君 服部文四郎君 塩沢昌貞君 上田貞次郎君
 桑田熊蔵君 松村光三君 内藤章君 高野岩三郎君
 中島信虎君
 第二日 十二月廿二日(土)午前九時五十分開会。桑田熊蔵君、中島信虎君、添田寿一君、塩沢昌貞君、金井延君順次司会。
 午前之部
一 講演
 第一席 北沢新次郎君 自午前九時五十分 至午前十時三十六分
 第二席 気賀勘重君 自午前十時三十六分 至午前十一時二十六分
 第三席 武藤長蔵君 自午前十一時二十七分 至午後零時三十三分
 午後零時三十四分休憩
一 会員撮影
 午後之部 午後一時三十三分開会
一 講演
 第四席 那須皓君 自午後一時三十三分 至午後二時五十分
 第五席 内藤章君 自午後二時五十二分 至午後三時五十九分
 第六席 森壮三郎君 自午後四時 至午後四時五十五分
 第七席 河上肇君 自午後四時五十五分 至午後五時三十六分
 第八席 山崎覚次郎君 自午後五時三十七分 至午後六時二十二分
一 閉会の辞 金井延君 自午後六時二十三分 至午後六時二十五分
 午後六時二十五分散会
 今其の経過の大要を記さんに、
 第一日(十二月廿一日)は昨年の決議に基き報告討議共之を非公開とせり、当日の出席者は来賓新聞雑誌記者を加へて約五十名。午後一時三十四分開会。先づ東京帝国大学教授金井延君登壇開会の辞を述べ討議問題の重要且適切なる所以を説明して曰く「小工業は大工業に圧倒し去らるゝ運命を有せず、又此の勢を促進せんとする政策は妥当ならず。大経営の発展は工業界の大勢なりと雖も凡ての業種を通じて然るにあらず、特定種類の工業にあっては、世界市場の競争の上より小工業は充分なる存在理由を有す。之を先進国の経験に徴するも、工業統計の示す所に従へば各国工業の大部分は猶小工業の範囲に属すの事実あり。然るに過去の政策は漫に大工業を渇仰し、小工業を圧迫して之れを適当の範囲より駆逐せんことを努めたり。現今に於る小工業の窮状は実に此の誤れる政策の致す所にして決して事物自然の結果にあらず。世人動もすれば現代を以て機械工業の天下となすは職として這般の事情に疎きに由る。此等の諸点に就き本問題の報告討議が吾人を裨益すること多大なるを疑はず。且つ現戦争に伴ふ工業上の一大転機に於て之をなすに於てをや」と。報告者は河田嗣郎君上田貞次郎君及び服部文四郎君の三氏にして一般論、工業経営及び工業金融の各方面を分担する予定なりしに、河田君が不得止事情のため出席不能となりしは頗る遺憾とする所、同時に会員添田寿一君が臨時報告者として一般論並に金融問題に付き所見を発表することを快諾せられたるは感謝に耐へざる所なり。
 報告の梗概は次の如し。
 報告第一席 添田寿一君
 国勢調査を欠如せる我国に於ては小工業大工業の実情に関する精確なる知識を得る能はず、唯諸種の事情を参酌して大体の推定をなし得るに留まる。吾人の知り得る限りに於ては我国工業の多数は小工業者によりて営まれ居るが如し。欧米の先進国に於てすら、工業の大部分が小工業なりと云へば、後進国たる我国工業の重要部分が小工業の域に属するは毫も怪むに足らず。然るに誤れる経済学説誤れる実際家が此の事実を等閑視したるは甚だ了解に苦しむ所なり。
 大工業の讃美者は切りに大工業の利を挙げ小工業の弊を指摘す。小工業は其の規模小なるが故に大注文に応ずる能はず、生産物は画一を欠き、粗製濫造に流れ易く、且生産費割合に高価なり。而して此の弊害は大戦勃発と共に我が工業界の痛切に経験したる所なり。寔に然り、然りと雖も一国の産業組織は一朝一夕に之を変革すべからず、小工業の弊如何に多大なりとするも、直ちに之を大工業化するは殆んど不能に近く、強ひて之をなせば弊害百出すべし。況んや小工業はそれ自身工業経営上経済政策上並に社会政策上多くの長所を有するに於てをや。故に之が対策はその撲滅に存せずして、その維持救済に存す。或は曰はん小工業の維持救済の如き姑息の小策を捨て之が自然の消滅に委すべしと。経済殊に生産方面のみより之れを見れば或は然らんも、分配上社会政策上は断じて然らず。尚過渡時代に間隙を生じて一国工業生産の減退を来す点より見れば生産上にも亦不可なるが如し。自由放任策の採るべからざるや明けし。
 然らば之が救済策如何、余輩を以て見れば小工業政策は合同の方法を措いて他に適策なし。
 即ち小工業者をして組合を組織し以て大工業に対抗してその地歩を保持せしむべし。此の点に関する我国の実況を検するに我が産業組合はその数並に組合員数に於て非常の盛況を呈すと雖もその実質に至ってはその外観の偉なるに似ず甚だ貧弱にして萎靡振はず。而してその原因する所は要するに人材の欠乏にあるが如し。故に産業組合の将来は教育ある有為の人士が進んで組合事業に関与するや否やに係って存す。斯の如くにして生じたる産業組合の成功により小工業はよく大工業の圧迫に対してその地歩を維持し得べし。
 進んで小工業金融の問題に論及せんに、世上屡々低利資金を重要視するものあるも、こは無用にして往々有害なり。資金の人為的間断的供給に代へて其の継続的自然的供給を画策すべし。而して小工業者に対し此種の資金供給をなす機関は如何。彼等の最も多く利用する者は親類朋友よりの融通と高利貸となれども、共に顕著なる弊害を伴ふは周知の事実なり。銀行は、地方の小銀行を除けば、概して小口且対人信用を求むる彼等と取引をなさず。故に小工業者に対する適当なる金融機関は現存せず。
 然らば我国の銀行制度は全然彼等に資金融通の道を遮断するか。極めて然らず。農工銀行は地方の小生産者を顧客とすることを予定して設立せられたる地方的金融機関にして、同法六条の五は「二十人以上の農業者又は工業者申合せ連帯責任を以て借用を申出でたるときは其の信用の確実なるものに限り五箇年以内に於て定期償還の方法に依り無抵当貸付をなすこと」を得る旨を規定せり。而して勧業銀行は割増金付債券を発行して資金を集め、斯して得たる潤沢なる資金によって農工債券を引受け以て農工銀行に資金を供給す。即ち比較的有利に蒐集したる資金をば、勧業銀行農工銀行産業組合の順序を経て小生産者に融通する、これ我が銀行制度の指示する小工業者金融の方法なり。
 然るにその実際の運用は如何。勧業銀行は債券発行に依って地方の資金を吸収し、その大部分を市街宅地の融通に集中し、他の部分を直接に地方の需要者に貸付け、而も農工債券は之を引受けず同時に所謂代理貸付は漸次一口の平均額を減少して農工銀行を圧迫しつゝあるを以て農工銀行は受信与信両方面より勧銀の圧迫を被り、その経営頗る困難となり、近来に至っては勧銀との合併論さへ称へられつゝある有様にして、六条の五に基く与信の如き殆んど空文となり去れり。勧銀の代理貸付が農工銀行を圧迫しつゝあるは上述の如くなるも其の一口平均額の減少は未だ遙に小生産者の需要と懸絶し茲に中介者の発生を促し小生産者は彼等の手より高利の資金の融通を受くる止むなきに至れり。
 此の現状は之を如何に改むべきか。先づ勧業銀行をして本道に帰らしめ得べきやと言ふに、一種の既得権化しつゝある従来の慣行を改めしむるは殆んど不能事に近し。故に別に興業銀行に割増金付債券発行の特権を与ふると共に、之をして其の特定部分を産業組合に融通すべき義務を負担せしむるに在り。此の新なる方法により小工業者に金融の道を開くことは我国産業政策上社会政策上最も望ましき所なりと信ず。
 報告第二席 上田貞次郎君
 余は経営上より見たる小工業研究の結果を報告すべし。小工業に就いて余の捕へたる問題は左の如し。
 第一、小工業は終に全滅して大工業に代らるべき運命を有するや。
 第二、小工業の滅亡は社会上不利なりや。
 第三、小工業に対して国家の取るべき政策如何。
 但し我国にて通俗に小工業と称せらるゝものゝ範囲は漠然たるものあるが故に余は先づ其意味を学問的に分解し置くべし。所謂小工業の内には左の如く種々なる分子が含まるゝかと考へらる。
一、独立の親方(学者の所謂手工業 Handwerk)
二、お店制度(学者の所謂家内工業 Hausindustrie)
之を更に分類すれば
 多数の親方を従属せしめたるものと内職屋を統一するもの。
 中間のお店を置くものと之を置かぬもの。
 お店自ら小工場を有するものと純然たるお店。
となる。
三、小工場
 親方制度の如く家族的ならず、又工場主は親方の如く自己の伎倆を用ひんが為めに自ら労働することなし。其本質に於ては大工場と異ることなけれども唯規模の小なるを特色とす。従業人五十人内外迄は小工場の内に入るべきか。
余は前掲の問題を解釈するに際して此等の異種類の経営法を別々に考ふる場合あるべし。
 第一問に対しては余は否定の論点に達したり。欧州にて一八五〇年乃至七〇年の著書は概して大経営の発達に際限なきものゝ如く考へたる様にて特にマルクスの如きは資本家間の競争の為めに生産の規模は益々大となり而かも恐慌の起る度毎に小資本家は大資本家に圧倒さるべきが故に結局社会に大資本家と「プロレタリアート」即ち貧民の二大階級が対立するに至り其極革命が起って資本家は其財産権を失ふに至ると論じて彼の社会主義を立てたるなり。然れども其後の事実は必ずしも然らず。英国の例を取れば工場法の支配を受くるものゝ内にて「ファクトリー」は平均四十九人、「ウォークショップ」は平均八人の従業者を有するに過ぎず。又工場法の支配を受くる労働者の数四百三十万に対して其支配を受けざる労働者の数四百六十万ありて、此内三百万は親方又は内職屋なり。英国の如き工場制度の発達したる国にて此の如く多数の小経営の現存することは我々より見ても寧ろ意外といふべし。
 此の如く小工業の大工業と並立する理由は何れにありや。思ふに元来大経営が小経営に比して経営上利益なる点は(一)機械を利用すること、(二)分業を細かになし得ること、(三)品質を均一にして大なる纏たる販路に応ずることなり。此内にて(三)の理由は夫自身直接に大経営の発達を促すのみならず、又機械の発明、分業法の進歩を来たす所の原動力なり。されば販路広大にして需要の画一なる所には大工業が小工業を駆逐するけれども此の如き事情のなき所には依然たる小工業の領分が存続するなり。消費者の個人的嗜好又は便宜に応ずべき仕事の如きは殆ど永久に小工業に属すべく、又「タイプライター」や万年筆の如き新製品の如きも販路の不安定なるが故に先づ小工業として発達するなり。今実例を日本の織物業に求むるに京都西陣の織物の如き消費者の嗜好区々にして品質の均一よりも寧ろ変化の多きを貴ぶ種類のものには親方制度又は之を基礎とする所のお店制度が永続し、之に反して福井の羽二重の如き輸出向の商品は見本売買の必要上是非品質を均一ならしむるを要し従って小工場が急激に発達しつゝあり。而して此両者の中間にある所の紀州ネルに至りてはお店制度と小工場とが併存して競争しつゝあり。かくして一旦小工場の領分に入りたるものは更に進んで大工場の時代に至るべきは予想し得る所なれども其然らざるものは永く小工業の領分として残るべし。小工業の全滅の如きは到底近き将来に於て見るべからざるなり。
 然らば第二問に入りて小工業の滅亡は社会上不利益なりやといふに之に対しても余は決して不利ならずして却って或場合小工業の生存が容易ならざる弊害を惹起すべしと信ずるなり。小工業の滅亡を憂ふるものは之に依って社会の中堅たる中産階級其者の滅亡を来たすと信ずる次第にして彼の独墺の所謂中流階級政策を主張するものは即ち其一派なれども是は確かに杞憂なり。大工業の発生は普通労働者以上の高級使用人たる技師事務員職工長等の一階級を発生せしめ之に依って健全なる社会の中流を維持しつゝあり。加之株式会社の発達は大企業の資本を分割して大小多数の財産家に放資の機会を与ふるが故に中等階級は決して大工業の為めに駆逐せらることなし。此新傾向を見ずして徒らに旧式の親方制度やお店制度を保護せんと企つるが如きは断じて不可なり。
 加之小工業が大工業と竝立して同種の工業に就いて競争するときは労働者の為めに宜しからず。生産費の多き旧式の経営法を以て新式の大経営に対抗せんには職工、徒弟、内職屋を圧迫して其賃銀を値切り倒すより外なきが故に此場合には大経営に比して小経営の使用人が常に不利の位置にあり。英国の職工組合が親方制度とお店制度の存在に反対するは著しき事実ならずや。又所謂「スウエチングシステム」が社会上の一大弊害として喧しく論ぜらるゝことを思ふべし。
 是に至りて余は第三問即ち国家は小工業の為めに何を為すべきやといへるに対して答ふべし。特に大工業に反抗して小工業を保護するは不可なり。小工業には小工業の領域あるが故に仮令保護を加へずとも消滅することなかるべし。大小何れにても可なる中立地帯にて両者の競争あらば吾人は寧ろ早く大経営の時代の来らんことを希望するなり。添田博士は小工業の存続を分配上より見て希望されたる次第なれども余の研究の結果は全然反対の結論に達したり。同博士のいはるゝ如く日本の工業家が外国の大注文に応ずること能はざるは我国工業組織が余り小なる為めなり。又粗製濫造の如きも小工業の弊なり。之を矯正せんが為めに同業組合又は輸出品検査の如き方法を講じたるも何れも大成功とはいひ難し。出来るならば合同して大経営となすに如かず。併し大経営といはず小経営といはず総ての工業を奨励して其能率を充分に発揮せしむるは国家の勉むべき所なれば此の意味に於て工業学校、試験所等を設け又産業組合法を利用せしむるが如きは余の反対する所にあらず特に幼稚なる小工業に対して低利資金を供給して其経営の拡張統一を為さしむるは頗る可なり。此場合には我等の目的は小工業を小工業として存続せしめんとするにあらずして小工業を中工業たらしめ更に進んで大工業たらしめんとするなり。小工業の金融は小工業の維持を目的とすべからず、其消滅を目的とすべし。
 報告第三席 服部文四郎君
 小工業と金融との関係を明らかにし社会政策上、是に対して執るべき方策を定めんと欲すれば、勢ひ小工業なるものゝ意義を明瞭にし、而して後に其の金融関係を論議せざるべからず。是れ小工業の意義明瞭ならざれば是に対する資金融通の途に就いても又是れに対する社会政策上の施設に就ても明確に論断すること能はざればなり。然るに小工業なるものゝ意義に就いては小工業の小なる文字、既に之を示すが如く相対的の関係にして、如何なる工業が小工業にて、如何なる工業が中大工業なるか、是を明白に区画を立てゝ少なくとも小工業と其の然らざるものとを絶対的に定むることは甚だ容易ならず、但し小工業の意義に就きては別に報告者の精細なる研究報告あるが故に、吾人は今此の意義の問題に深く立ち入ることを避け、茲には主として現在我国の実状に於て所謂普通の銀行に赴くも容易に資金の融通を受くること能はず、資金融通の途に大に苦しみつゝある工業を金融上仮りに小工業の範囲に属するものと認め、是が金融に就きて多少の報告を試みんと欲するなり。
 然れど仮りに小工業の意義、大に明瞭なりとするも、同じく小工業と云ふものゝ内にも亦極めて種々雑多なる工業あるや言ふを俟たず。現に今是れを東京市の調査する所に係る東京府下に於ける副業中、工業に属するものを見るも和紙、竹細工、藁細工、賃織、木通蔓細工、水木箸、線香粉線香等あり。此等は小工業中にありても最も小なる工業に属し、木通、蔓細工の如きは其の資本約五円もあれば充分なるものにて未だ工業資金の問題を発生せしむる迄に至らぬものと云ふも敢て過言にあらず。然るに尚ほ一方に於ては東京市には鍍金業、硝子業、青梅織物、麻真田、帽子、紙函、鞄、織物等あり。而も此等は比較的多くの資金を要するものたるなり。然れば同じく小工業と金融と云ふも若し是を能ふ限り精細に論究せんと欲すれば実は小工業の一々に就て其の金融関係を調査研究せざるべからず。但し是れ到底短時間に能く其の要を尽し得るものにあらざれば茲には主として其の概論をなすものと承知せられんことを希望す。
 さて小工業金融の多少共将来を語らんと欲すれば先づ其の現状に鑑みるを要す。然るに小工業金融の現状は何人も直ちに之を承認するが如く極めて不満足なる状態にありと云ふの外なし、現に我国に於ては小工業に対して金融の便を計るもの直接には信用組合、頼母子講、無尽、時には質屋、信託会社、或は所謂高利貸間接には日本勧業銀行、日本興業銀行、農工銀行、而して間々普通の商業銀行等の機関あれども此等は未だ十分小工業に対して其の便利を計りつゝあるものなりと云ふこと能はず、実際上に於ては問屋なるものが、今以て大なる勢力を有して居り、特に小工業者にして其の原料を問屋より受取り、其の出来上りたる製品を問屋に納むるものは此の問屋を御店と唱へ、全然之に従属関係を有し、恰も問屋の常雇職工に異ならざるものあり。其の然らざるものも問屋より原料を買入るゝ場合には多く掛にて買入るゝが故に、是亦問屋の命を奉ぜざるべからず、製品を売渡すものは或は前払若くは内払を要求し、是亦問屋に服従し、問屋は時には其の製品代金に対する支払に手形を以てし、自ら振出したる手形を自ら割引し、高利を貪りつゝ小工業者を苦むるの状勢あり。此くの如くんば小工業者の前途は寔に暗憺たるものあり。
 然らば如何に之を改善すべきや。小工業者の金融は之を其の機関論と内容論とに区別することを得べし。機関論とは如何なる金融機関をして小工業の資金融通に当らしむべきやと云ふを論ずるものにして、内容論とは如何なる方法を以て小工業の資金を融通し、如何にして其の資金を充実せしむべきやを研究するなり。即ち金融方法と資金充実法との二に分つなり。而して独逸其他の国に於ては夙に機関論の時代は過ぎ去り、内容論の時代なるかの如く見らるゝが、我国に於ては尚ほ金融系統論を論議せざるべからざるの現状にあるを憾む。
 小工業の金融機関は決して之を一種に限るの必要なく、凡ての制度を利用すれば可なり。されど其の内自ら軽重の差なきにあらず。高利貸に就ては其の手より小工業者を救ふを急務とし、無尽、頼母子講、質屋等は今日以上に多くを期待すること能はず、然れど吾人は普通銀行は以て其の資金を利用し、各々専門を定めて而も其の危険を分配すれば、小工業者に対しても多少の資金を融通するの余裕を発生せしめ得べしと信ず。信託会社、又最近大阪に於て起りたるものゝ如く小工業資金を融通して不可なりと云ふ理由なし。但し、何を言ふも小工業金融機関は主として信用組合の活動に待たさるべからず、我信用組合は最近、経済調査会の調査の結果改正せられて其の口数を増し、組合員以外の貯金をも預ることゝし市街地に於ては手形の割引も之に許さるゝことゝなり、信用組合連合会は債務の保証をなすことをも認めらるゝことゝなれり。然れど信用組合は単に之れだけの改正を以て満足すべきものなりや否や、地方と市街地とは同じ下層金融にありても、目的、資金の用途、期限、貸付利子、出資金額、利益配当、範囲、理事者の報酬等に於て全然其の趣を異にし、従て今日迄の信用組合に僅かに庶民銀行の要素を加味したるだけにては到底不十分なりと云はざるべからず、此の点に於て将来の小工業金融機関は尚ほ発達の余地ありて存す。
 内容論として資金融通の方法は今日迄我国の信用組合は対人信用を原則とし、之を金科玉条として墨守するの傾あれど、吾人は更らに対物信用をも応用し、どしどし資金を融通してやるの必要ありと信ず、其他仏蘭西に於て行はるゝが如き保証組合の制度、加奈太に於て行はるゝが如き書入質の方法、並に通帳に対する貸付、延いて独逸に於て行はるゝ売掛金割引 (Diskontierung von Buchforderung) の制度も漸次之を我国に応用するを可とす。
 資金の充実は或は勧業銀行、或は興業銀行、或は農工銀行より、或は無担保手形割引、或は当座貸越等の方法を利用し可成豊富なる資金を融通することにしたし。而して今日迄、是れ又我国に於ては下層金融には低利々々と唱へ矢鱈に低利資金を要求し、低利ならざるべからざるが如くに云ふも、吾人は必ずしも余り低利なるを要せず、其れよりもどしどし豊富に潤沢に資金を供給することが、就中最も必要のことなりと信ず。利子は純理の上より云ふも其の定まるに自ら経済上の原則あり。此の原則を無規すれば何処かに無理を生じ、一時は人為的に金利を変化し低利の資金を強制的に融通するも斯る処へは自然に資金の疏通することなく、却って資金の欠乏を感ぜしむることゝなる、かくては何の効もあることなし、故に低利にせざる方が却って優れるなり。不自由なく資金を利用せしむることが根本的に必要なるなり。
 されど社会人事の凡ては皆な人の問題なり。人を得て興り人によりて亡ぶ。小工業金融又然り、究極する所人の問題なり。特に信用組合の如き其の理事者に人を得て、犠牲的精神を有するものあらざるべからず、組合員に共同的精神なかるべからず。然らざれば結局効果なし。此の点我国に於て大に遺憾の点なしとは云ひ難し、是れ亦改善の要あり、依頼心、事大思想を去って純然たる高尚なる独立心、自由的精神を鼓吹せざるべからず、而して今日は幸に欧州大戦争の影響を受けて我国には夥しく正貨増加し、一般金融は大に緩漫にして、資金の供給は潤沢に、其の使用せられんことを待ちつゝあり。此の機は実に小工業金融を改善する絶好の機会なり。
 夕食後七時十五分より会員の討議を開く。桑田博士司会者の席につき開会を宣し、先刻報告者より詳細なる報告ありたれども会員諸君の中同問題につき質問あるものは之を質すも可なり異論あるものは之を陳ぶるも可なり要は問題の実質を明にするにありと陳ぶ。先づ質問は起れり。劈頭第一に福田博士立ちて服部報告者に頼母子講の金融機関としての職分を質す、服部君之に応じて頼母子講は相互的融通機関なり金銭を目的とすることあり又は物品等を目的とすることありと雖も一定額の掛金を集めて之を払戻すを本質とす、之を営利的に行ふ時は無尽となるなりとて諸地方に行はるゝ頼母子講の組織につきて説明す。次に塩沢博士は上田報告者にお店につきて質問す、上田教授は午後報告したる所を敷衍して之に応ふ。桑田博士は服部君に問ふて曰く先刻の添田博士より勧業銀行興業銀行合併問題につきて意見を聞くを得たり、小工業者の見地より服部報告者は両銀行の合併を否とせらるゝや如何と、服部報告者之に答へて曰く予を以て之を観るに勧業興業両銀行は合併するを可とす、勧業銀行をして資金を集め農工銀行をして十分に之を働かすが最も得策とす、現今の制度に於て興業銀行が十分に働くことを得ざるは蓋し制度其物より来れることにして如何ともすること能はずと信ず、添田博士は勧業銀行の勢力の濫用を慮られしも予は国民の監督にて之を防ぐこと不可能にあらずと信ずと。桑田博士更に問ふて曰く然らば勧業銀行を中枢とし其下にあって直接に地方の金融機関として働かしむるには農工銀行が適当なりや或は勧業銀行の支店を適当なりと認むるやと、服部報告者は之に応じて予を以て見るに大体に於ては農工銀行をして之に当らしむるを適当とするものなり、要は一面には其地方の事情に適合する金融機関となると同時に一面には勧業銀行と農工銀行との連絡をよくするにありと信ずとて両者の関係特に金融の連絡につきて意見を陳ぶ。松村商学士も実地の例を引いて服部報告者の説を補ふ所あり。内藤教授は即ち立ちて曰く予をして同問題につきて一言することを許せ、制度を新に設くると之を改むるとは自ら考を異にせざる可らず我国に於て明治三十九年勧業農工両銀行を併立せしめ而かも其の活動の分野を明にしたるに拘らず農工銀行の振はざるを見て之を廃止せんとするが如きは甚だ採らず、農工銀行の振はざるは勧業銀行が其の分野を侵したる事蓋し多きに居る。之を英国の例に見るも銀行の集中的傾向は決して地方の金融に良好なる結果を来さず予は両銀行の合併に反対せんとすと。松村学士は内藤教授に対し不動産貸付を農工銀行に移すことは実行せらるゝと思はるゝや如何と。内藤教授は一部分は実行し得らるゝことゝ信ずと。松村学士は更に服部報告者に質問ありとて、第一普通の銀行は小工業の金融機関となることは適当なりや如何第三十四銀行の例の如きは之を否定するものゝ如し、第二先刻の報告にては金融機関は自然のものを利用するを得策なりと断ぜられたる如し発達せしむ可きものを選んで之を発達せしむるが可ならずや、第三信託会社は我国にては不適当にあらずや米国に於て信託会社が盛なるは同国特殊の事情に本くにあらずや報告者の高見如何と。服部君之に応へて曰く普通の銀行をして小工業の金融機関たらしむるの不適当なるは松村君の説の如し、予は信用組合をして之に当らしむるを最も適当なりと信ず、本年の産業組合法の改正はこの問題の解決に一歩を進めたるに相違なきも之にては未だ十分ならず研究の余地大にありと信ず、第二の質問につきて予は大体に於て質問者と同意見なり唯如何なるものを発達せしむべきかにつき惑ふのみ、第三の点につきては予は質問者の如く悲観するものに非ず之を発達せしめ得べしと信ずと。塩沢博士はフィナンシアーにつき質す所あり、服部報告者之に応へ更に松村学士之を補ふ所あり。高野博士は社会政策の見地よりするも小工業保護の見地よりするも農工業の金融機関に割増債券の発行を禁ずること必要ならずやと質す、こゝに於て問題は一転して割増債券問題となる。服部君之に応へて理想としては博士の説の如し然れどもこの制度を廃止するも同銀行をして有利なる地歩を得せしめ従って地方の農工業者に如何なる利益を与ふべきかは疑問なりと思ふと酬ゆ、高野博士は更に先刻来数々問題となりたる勧業銀行の跋扈を抑ゆる上に於ても亦同債券制度を禁止するの必要ありと思ふ如何と問ふ。松村学士立ちて我国民が之を歓迎するは其の投機的心情より之をなすに外ならずと。高野博士は反問して曰く多少は国民の投機的心情を利用することは之を許さん然れども今日勧業銀行の行ふ所は其の程度を超ゆること甚しきものに非ずやと。松村学士は之に答へて曰く其の制限を設くる必要あるべし現に経済調査会にても之につきて改正案の提出を見たり不幸にして通過することを得ざりきと。中島教授はやをら身を起して曰く、唯今承る所に由ると我国民は生来投機的なるが如し然れども予を以て之を観るに決して然らず政府に由りて養成せられたるセコンドキャラクターなり、勧業債券の地方に害毒を流すこと思半に過ぐるものあり、牧民官にして真に地方の福祉を思ふものは之を憤慨せざるものなしと。其より三四会員の間に農工金融に関し意見の交換ありたり。この時福田博士再び立ちて曰く唯今まで話題に上りたるものは専ら金融問題なり然れども小工業問題は之に尽くるものに非ず、予輩は上田教授に質さんと欲す教授は小工業の亡びて差支なきものと然らざるものとあることを陳べられたり具体的に説明せられんことを望むと。上田教授は之に応じて競争に堪ゆるものと然らざるものとありと解するも意略近し、西洋諸国にてもこの現象ありたることは改めて説くまでもなし、我国にても亦然らざる能はず、一々競争に堪へ得るものと然らざるものとを列挙するは予の能くする所に非ずと雖も試みに其の一二を挙ぐれば輸出向の工業品製造の如きは小工業を維持する必要なし其大工業となるべき基礎あるものに至ては寧ろ之を大工業に仕立て行くこそ何れの方面より見るも得策なるべけれ、美術工業の如きは性質上小工業的のものなれば之を保存するこそ適当なれ流行を目的とする内国工業の如きは漸次大経営に移りつゝあるが如し云々と我国に於ける製糸其他の実例を引いて小工業の変遷につき詳に説く所あり、之に次で福田博士と上田教授との間に上州及び信州に於ける製糸業に付きて押問答あり。中島教授は予は上州の製糸業とは浅からぬ因縁ありと冒頭し甘楽社等の沿革実況等につきて説明する所あり更に問題は移りて産業組合を中心とするに至りぬ。上田教授は生産組合に付きて説明する所あり、之れに関して数氏の間に問答あり、問題は幾たびか変転して談尽くる所を知らず時に将に十時に近かりしかば司会者は討論終結を宣しついで解散せり。同夕の討議は厳正にいへば或は討議といはんよりは寧ろ清談と称するを適当とするが如し、蓋し討議の標的となるもの不明にして而かも幾度か変転したることゝ及び議論甚だ微温的にして火花を散らすに至らざりしが故なり。列席したるものは為に新しき事実を知り若しくは問題解決上有益なるヒントを得たることは少なからざりしと雖も予輩をして更に希望を陳べしむれば討議の題目を限定して尚組織的に討論をなすに至らん事是なり。最後に筆者は其の席に列りて聴取せし所の大要を録したるに止まり、其の意を誤解したる所も少からざるべきが故に之を以て当夕の模様を髣髴せしむること能はざるを謝せざるを得ず。
 第二日(十二月廿二日)は公開講演にして午前九時四十五分専修大学講堂に於て開会。桑田熊蔵君司会者席に就いて開会を宣す。聴衆は始め五六十名なりしも後には二百余を算するに至れり、其大部分をなすものは例の如く学生なれど中年輩の人々も可成り見受たり。以下の順序に従ひ各演者の講演あり、予定以外に京都帝国大学法科大学教授河上肇君を演者の中に数ふるを得たるは本会の多幸とする所なり。講演の概要は次の如し。
 第一席 戦時並に戦後に於ける英国労働者運動 北沢新次郎君
 英国の労働者が這回の大戦前迄は常に戦争に反対して居った事は、独逸、仏蘭西、白耳義等の労働者と毫も異ならず。故に一旦セルビヤとオーストリヤとの間に戦争の勃発するや英国に於ける殆んど総ての労働者団体は極力英国の之れが渦中に入るを防止する方策を廻らしたり。然るに一度英国が大戦争に参与するや労働者は平素の主張及理想を放擲して自国の擁護に尽力せんと決意せり。而して英国労働者は単に戦争に参加したるのみならず天下に宣言して労働争議の解決を提唱し、以て産業界の平和を講じ軍需品製造の充実せん事を希望せり。茲に於て多年殆んど解けざりし資本と労働の軋轢は戦争の開始と共に全く氷解し英国の産業界は空前の鎮静を見るに及びたり。
 然るに開戦後六ヶ月を経ざる内に英国労働者の不安は再び起り、英国の産業界は為めに平穏ならざる状態となれり、蓋し此の理由は種々あるべきも資本家が戦争及労働者の好意を利用して暴利を貪りしに依る事最多し。其結果労働争議の紛出を見るに至り英国政府が様々なる方策に依って強制的に鎮撫するを努めたりしも労働不安は尚已まざりき。
 英国政府が資本と労働の調和を謀り以て軍需品の製造をして不足なからしめんとせし方策中軍需品法は最も有名なるものにして此立法は戦後に於て議論の中心点となるべく予想せらる。
 英国政府は英国の職工組合労働者に戦時中停止したる総ての制限的規約及慣習を戦後全部復活せしむべき事を誓ひたるも之は戦後実行到底不可能なり。何んとなれば戦後は同国従来の総ての経済関係を撹乱して新現象を呈するに至るべければなり。茲に於て労働者の要求する新要求を政府が許容するか否かゞ大問題たるなり、戦後経営中英国政府の解決する諸問題中資本と労働との調和協同を計る問題が最も困難なるものなるべし又一方英国労働者運動の前途は多望多端なるが如し。
 即ち戦後の産業界に於ける彼等の地位を確保すべき方策は勿論、戦時中激増せる半熟練労働者及婦人労働者を如何にすべきかは緊急問題となるべく之れが為めに従来の職工組合の組織其物を変更するに至るやも知れず。
 第二席 物価騰貴の影響 気賀勘重君
 日本銀行の調査に拠れば開戦当時に比較し今日我邦の平均物価は七割二歩の騰貴を見たりと云ふ抑も此騰貴は如何なる影響を逞ふするか。云ふまでもなく物価騰貴は消費者に痛苦を感ぜしむると同時に生産者を利益し経済界に好景気を齎らす。然るに消費者の大部分は同時に他面に於て生産者たるの資格を有するを以て好景気は常に一般杜会に依て歓迎せらるゝの傾あり。然れども此問題は決して軽々に断ず可らず。注意せざる可らざるは、直接経済界に関係なき月給取公債所有者、年金収受者の如き、物価騰貴の苦痛をのみ感じて他方に毫も其恵沢に浴せざる階級あること是なり。
 即ち是等階級に関係する限りに於ては物価騰貴は所得分配の状態を撹乱し従来の均衡を破壊して其間に多少の不公平を生ずること避く可らず。又次に物価騰貴は生産従事者を利益すと云ふも、其の利益を与ふる事の遅速大小の程度は決して均等ならず。利益を先づ受くるは企業家にして労働者は之よりも遅く、所謂月給取は更に労働者よりも遅くるゝの観あり。之を我邦の経験に徴するも企業者間の成金は開戦後間もなく其簇生を見たるも、労働者の争奪は漸く昨三四月の交に始まり、月給取階級の好景気は昨年末に至り始めて之を見るの事実あり。而かも月給の騰貴は賃銀の騰貴に及ばず、賃銀の騰貴は到底企業利潤の膨脹に比す可らず。由是観之此点に於て物価騰貴は貧富の懸隔を甚しからしめ、社会組織の欠陥を暴露するの機会を提供するものと云はざる可らず。更に又物価は一切の産業を通じて平均的に騰貴するものに非ず。事実に就て之を観るに我邦工業界に於ては多数の成金発生したるも農業界林業界に於ては其事なし、従て此点に於て物価騰貴は各種産業間の利潤分配の不平均を来たす原因となる。
 物価騰貴が齎らす他の一弊害は人をして僥倖の利潤を希ひて正直なる勤労を嫌忌するの気風を養はしむる事是なり。而して同時に物価騰貴の勢が継続する限り一般に生産経営法の投機的となる事は避く可らず、従て買占め売惜みの行はるゝは当然の結果なると同時に此事実は物価騰貴の勢を激成し従て又愈々其反動を甚しからしむ。其一実例は八月に於ける木綿物の暴落に於て之を見る可し、要之吾人は様々の方面より観て物債騰貴の歓迎す可らざる多くの理由を発見するものなり。
 而して今日の如き物価騰貴の勢は平時に於ては必ず輸入の増加を誘導することに依り緩和せらるゝ筈なれども、今日交戦諸国に於ける物価騰貴は我邦に於けるよりも更に甚しきものあるを以て此事の行はるゝを望む可らず。
 従て何等かの方法を以て之を調節するの必要ある可きなり。
 第三席 アーノルド・トインビーに就て 武藤長蔵君
 本題の下に余の述べんとする所は主として Arnold Toynbee と労働者教育に関してなり。第一に労働者教育即ち労働者下層階級貧民に接触研究し救済改善の方策を講ずることに関して彼に感化を与へし彼の時代と其人物に於て述べんに、先づ家庭生活に於て彼に感化を与へしものは父 Joseph Toynbee 其の親友 James Hinton 並に Joseph Mazzini 等なれども余の茲に特に述べんとするは彼等にあらずして次の四人物なり。(1)牛津大学生時代に於て彼に感化を与へし者は同大学教授 Ruskin にして、間接ながら其の師 Thomas Carlyle も亦彼に少からざる影響を与へたるが如しと雖ト氏の社会改良に関する見解は此等両氏の保守的なるに比して頗る進歩的なりき。(2)James Hill Green は牛津大学 Ballioi College 道徳哲学の教授にしてト氏の恩師として彼に非常なる感化を与へたり。彼は貧民問題に注意し Carlyle Maurice 及び Kingsley の著書を愛読し University Extension の鼓吹者なりき。(3)B. Jowet は牛津大学の University Extension Movement を助けたる人にして当時大学生なりしト氏を Barnett 牧師夫妻に紹介せし人也。(4)東部倫敦貧民街の牧師 Barnett 氏と其夫人は屡々牛津剣橋の大学を訪ひて貧民教育に関する彼等の計画を談り、特に牛津大学に於ては彼等に耳を傾くる一団の同情者を生じ、ト氏は実に其筆頭なりき。ト氏が倫敦に赴かんとせる際此の牧師に相談し其の指導と忠言とを得たり。Barnett 夫人は彼等の計画になりし New Settlement に The Settlement Toynbee Hall の名を附してト氏を記念せり。
 第二に述べたきはトインビー館のことにして、こは大学関係者が其処に滞在して労働者貧民に接触研究し、夜学校を開きて彼等を教育し、或は彼等に高尚なる娯楽を与ふる等種々の目的と組織を有す。トインビー館は実に “The mother of Settlement”とも称すべく、其後之に倣ひたるもの処々に興り Glasgow に於けるそれの如き米国 Chicago の Hull-House の如きその尤なるものなり。我国に於ても救世軍の大学植民館あれど、こは吾人の理想とする University Settlement にあらず。
 第三に述べんとするは英国に於ける労働者教育協会 Worker's Educational Association に就てなり、之が設立者は Co-operative Society の書記にして永年トインビー館に関係もあり又 Settlement Movement を研究しト氏伝を書き彼を敬慕せし Albert Mausbridge 其人なり。又此協会の会計係を勤めし T. E. Harvey はトインビー館にて Barnett 牧師の後継者なりき。本協会とトインビー館との関係は此の如く密接なり。本協会は一九〇三年 Trade Unionists 及 Co-operators の少数団体により設立せられ労働者に対して一般の程度を高むることが社会的進歩を企図するに必要なる条件なりとの考より出でしものなり。協会は漸次其の勢力を拡大し一九一四年の年報によれば之に加入せる Organization 二千五百五十五に及べり。尚此の協会は政党に関係なく又如何なる宗派にも属せず、その目的とする所は A missionary organization working in co-operation with education authorities and working-class organization たることを自任するもの也。近頃社会改良社及友愛会主催の大学生労働者の連合会なるもの成立し最近其の連合演説会開催されし由なれど願くば唯一場の演説会合たるに留まらずして英国の上記協会の如きものゝ我国に発達せん事を予は祈るものなり。
 第四席 農村問題の文化的背景 那須皓君
 近代文明の特徴の第一は機械的発明竝に之に基く各種社会的変動なり。而して各種生産業皆著しく機械化せるに独り農業のみ此の進運に遅るゝの観あるは如何。之が原因種々あれども就中重要なるは農生産の本体が生物の生活作用に基く事にして、これ即ち分割するを得ず又機械化するを得ざるものなり。尚農生産の要素中には其の経過年々に相違する天然要素ありて之に応じて手加減の必要あること亦其の機械化を妨ぐる一原因たり。而して農業が工業の如く機械化するを得ず又分業の利便に浴する能はざる事情は農業者に対して一種の特色を与ふるものなり。例へば商工業者が消費者たる自覚強きに反し農業者は生産者たる自覚強く且又一種の原始的気分に富めるが如し。将来の文化は此の農民的性格の長所をも抱擁せるものならざるべからず。
 近代文明の第二の特徴は文明系統の混交也。其の結果、社会の均一性と分化性と相竝んで発達し茲に合成的新文明の成立を観るべし。都鄙両文明の接触混交亦免れ難き現象にして而も決して悲しむべき事にあらず。農民都市集中の如きは田舎の文物設備の都会化に先ちて其の思想の都会化せられたる結果なるが其の動機は強ち之を否認すべからず。其の極端に及べば弊あるも之を絶対に禁止せんとするは不可能なるのみならず又一面の弊あり。之に処するの途は即ち田舎の都会化と都会の田舎化にあり。都鄙両生活の判然たる対立はこれ歴史的産物のみ。将来両者の差は単に程度の問題たるに止らん。
 近代文明の特徴の第三はデモクラシーなり。デモクラシーの本義は各人に同一の価値を附するにあらずして同一の機会を与ふるにあり。民本的思潮は保守的なる農村に於ても着々勝利を占め来れり。今後各種の農村社会問題を解決するに当りては此の基礎の上に立たざるべからず。婦人問題の如きも農村に於ては比較的解決し易き一種の事情あり。
 近代文明の第四の特徴は欲望の増進と資本主義的生産なり。近代の文化は一面奢侈の文化なり。商工業は進歩せる商品を作りて之に対する吾人の欲望を煽り立てんとす、農業に於ては園芸品以外是の如きもの少なし。奢侈の発達は多く原料品に対する加工の発達を意味し、即ち吾人の消費財中其の価値の農に帰属すべき部分の割合が漸次減少するを意味す。農界に巨富を見る事の難き一因は即ち此所にあり。
 更に農業に於ては商工業に比して資本の運転期間永き為めに、又報酬漸減率の圧迫を早く被り易きために資本の余剰価値生産力少なく、為めに農業の資本化は商工業に比して困難なり。農業者の有する貨幣は消費貨幣としては商工業者のそれと同一効力を有するも生産貨幣としては然らずと云ひ得べし。貨幣経済の今日に於て農業を商工業と竝進せしめんとせば特殊の保護を必要とする所以なり。
 之を要するに今後資本主義的精神は農界に侵入すべく農業は今日以上に資本化し又機械化すべきも全く商工業と同一の程度には達し難かるべし。現在の都鄙共に長所と短所とを有す。将来の文明は両者の長所を兼ね有するものならざるべからず、農村問題の解決亦此の方針の上に立たざるべからず。
 第五席 本邦に於ける下層金融機関 内藤章君
 我国に於ける金融制度上重要なる欠陥は下層金融機関の発達せざるにあり。現今諸種の銀行存在し一見整備せるが如くなれども、是等は皆資産階級の機関にして小資産者は金融の便を得る能はず小資産者は銀行の要求する担保品を有せず、銀行は煩労多き少額の貸付を嫌忌するを以てなり。然れども最も金融の必要を痛切に感ずるは小資産者にして、産業上経済上資金の必要なること多く若し之を得る能はざる場合には大なる悲境に陥らざるべからず。故に是等下層階級の為適当なる金融機関を設くる必要あり。殊に社会政策の見地よりすれば極めて緊要なり。現今本邦に於ける下層金融機関たるものは質屋、貸金業者、銀行類似会社、無尽業者、信用組合等にして、質屋は便利なる機関なりと雖も金利高率にして到底生産的信用を充す能はず。貸金業者は小資産者の弱点に乗じ種々の方法を以て高利を徴するもの多く、銀行類似会社も弊害多きを以て適当ならず。無尽業は近時盛に行はるゝ所にして、無尽業法に依り厳重なる取締を受くるに至りたれども、営業として営むときは弊害多く未だ広く下層金融機関とするに足らず。信用組合は小資産者が協同して金融の便を図らんとするものにして最も重要なる機関なり。然れども信用組合は元来人的団体なるを以て其適用の範囲に制限あると共に其実蹟を挙ぐるは頗る困難なり。故に其組織を適当ならしむると同時に適当なる人を得ること肝要にして、外国の制度のみに依らずして我国の事情に適合せしむるを要す。現今我国に於ては地方に於ける信用組合は発達せるも市街地に於ける信用組合は未だ発達せず、小商工者は適当なる金融機関を有せず。故に市街地に於ける信用組合の発達を図ること必要なり。然れども都会の信用組合は其経営地方の組合の如く単純ならずして、之に適当なる制度を設くると共に大なる手腕経験を有する者銀行的に経営せざるべからず。
 故に農村に適用せらるベき産業組合に少許の改正を加ふるのみにては不充分なり、宜しく之に対し適当なる規定を設くると共に手腕あり犠牲的精神に富める有為の人の奮て之に従事せられんことを望む。
 第六席 工場法と災害保険 森荘三郎君
 現代の大仕掛なる産業の発達は多数の労働者を工場に招致せり、例へば一九〇九年独逸の災害保険の被保険者数二千四百万人に及べり。而して又之に伴ふ災害の件数も非常に多く、最近五年間の平均は一年に十四万件以上に達せり。之に依て見るも労働問題特に労働者の災害問題の重要なる所以を知り得べし。我工場法は第十五条に於て雇主の扶助義務を規定せるが之に対し三個の問題あり、第一は業務上の災害に関する雇主の扶助義務の範囲狭きに失し、被害者及び其の家族の保護の不充分なる点なり。第二は業務に因らざる災害に対して工場法其他の労働法規は何等の施設も為し居らざる事之れなり。第三は業務上の災害に就きて雇主の負へる扶助義務の履行を完全ならしめ、以て労働者を保護する方法に於て欠くる所あり、同時に雇主の負担を軽減せしむる方法の備はらざる事之なり。而して我が工場法の規定の斯く貧弱なる所以は、我が産業界に急激なる変動を与ふる事を避け、漸を追ふて完全の域に近づかん事を期したるものなるが、此の精神に対しては毫も非難を加ふベき余地なし。されど工場法の制定者が保険の問題に注意を払はるゝ程度の薄かりしを遺憾とす。保険は危険分散の方法によりて一人の重き負担を多数人に分担せしめ、以て各個人の負担を軽減せしむるの制度にして、各人は一定の拠出金さへ支払へば如何に大なる負担の其双肩に落ち来るとも、毫も経済上に於て急激なる変動を受けずして止むものなり。我が工場法の制定者は労働保険制度を設くるに就きては統計的基礎を欠くが故に実行するを得ずと称すれども、欧州諸国の多年の経験は吾人に貴重なる参考資料を与ふるのみならず、若し仮りに統計的基礎に於て不備なる所あるにもせよ、経過的試験的の方法を採る事を得ざるに非ず。例へば英国々立疾病保険制度の如きは、ロイドジョージ氏の屡繰返して説明せる如く、経過的方法として各人に一律の保険料を課し、毫も職業、年齢、其他種々なる考察を加へずして之を実施し、将来の経験を待ちて保険料を修正すべき事とせり。斯くの如きは時世の必要に応じて時宜に適せる立法を為すものとして当に経世家の採るべき態度なりと思考す。現に我国に於ても戦時海上保険の如き何等の統計的基礎なき制度に対しても、時世の必要に応ずる手段として断然たる処置を採りたるに非ずや。又斯くてこそ世は進歩発達するものにして、熟慮断行は為政者の念頭を離るべからざる格言なり。
 第七席 未決監 河上肇君
 真に重大なる問題を有する学者の生涯は、至極の大罪を犯したる重罪人の未決監に繋がれ居るが如きものにして、何とかして其獄を破らねば、死刑に処せらるゝこと必定なり。それ故真に懸命にて問題の解決に当る。アダム・スミスは此意味に於て経済学史上破獄の第一人者なり。其結果自由放任主義は生れ、之によりて生産問題は略ぼ解決され畢れり。併し経済問題は実は生産問題と同じからず、生産問題の外に分配問題あり。然らば生産の奨励と分配の公平とを如何に調和すべきかといふに、之に就ては今日迄何人も統一的原則的徹底的に解決を与へたる者無し。此意味に於て余は明かに未決監中の一人なるが、恐らく世界の経済学者も皆此未決監に繋がれ居ると言ふとも差支なかるべし。
 第八席 保証発行制限額の拡張に就て 山崎覚次郎君
 本日述べんとする卑見は前年既に雑誌著書等(明治四十一年十月の「国民経済雑誌」、同四十五年出版の「貨幣銀行問題一班」、同四十五年四月の「法学協会雑誌」等)に於て発表せるものを、殆ど其儘繰返すに過ぎざれども、近頃実際問題となるべしとの風評あるに由り、再び之を論ぜんと欲す。日本銀行の発券制度は、天下無比の良法と称せらるゝも、制限外発行の頻発は果して之を証するものなるや。制限外発行は、明治二十七年以来本年に至るまで其絶無なりしは明治三十六年のみ、往々連続の状態を呈し本年は一月以後之を見ざるも、年末には恐らく出現すべし。本邦の立法者が模範とせる独逸帝国銀行も、独逸に倣へる墺匈銀行も、共に制限外発行は甚だ頻繁なりとす。独逸の制度も其根本主義に於ては英蘭銀行の制度に同じく、只だ恐慌等の際形式上法律違反を避くるが為め、適法的制限外発行の方法を設けたるものにして、此制限外発行を非常手段と見ることは、独逸に於ても亦本邦に於ても、共に立法者の明言する所なり。茲に於て大なる矛盾を発見せざるを得ず。我国に就て見るに、第一に、明治二十七年以来我金融界は非常手段たる制限外発行の頻発を要するが如き恐慌的状態連続せるや。而して事実は然らざるなり。然らば日本銀行併に歴代の大蔵大臣が非常の場合に非ずして非常手段を実行せるの責任は、何等の騒擾なきに巡査の抜剣せるが如し。是れ第二の観察なり。然れども、真面目に非常手段と思惟して、実際恐慌の起れる場合の外、日本銀行が制限外発行を為さゞりしならんには、其結果は果して如何。故に第三の観察としては、制限外発行を非常手段と見做したる立法者の思想が、根本的に誤まれりとの結論に到着せざるを得ず。蓋し銀行券の長所は社会の需要に応じて伸縮自在なるの点に在り。而して此長所を十分に発揮せしめんとせば、制限外発行は当然起らざるを得ざるなり。彼の保証発行制限額は十分なる学理的根拠あって決定せられたるに非ず。独逸に就ては、ワーグナーは「可なり勝手に」定めたるものと評し、本邦に於ても、明治二十一年七千万円に定め、明治二十三年八千五百万円とし、明治三十二年一億二千万円に増加せるを見るに、其理由とする所は区々一致せざるなり、或は制限外発行は世人に警告を与ふるの効果ありと称すれども、事実上之を認むるを得ざるなり。我国に於ては「伸縮的制限法」に対し、疑義を挟むもの極めて少なしと雖も、独逸に於ては制定当時既に反対論ありたるのみならず、現に帝国銀行の当局者は、発券額の決定上、制限外課税制度を殆ど無視するの意見を公表し、今回の戦争勃発するや、「三分の一」準備法は之を存し、制限外課税制度は之を中止せり。而して独逸に於ては帝国銀行発券額に関する法規上の制限を全廃すべしとの議論少なからずと雖も、我国に於ては此の如き改革は尚早しとす。故に現行制度(上述の如く、立法の精神〔厂+萬〕行せられずして、始めて不便を生ぜざるが如き制度)は之を廃し、而て之に代ゆるに「三分の一」準備制度を以てすべきなり、此制度も、和蘭白耳義の如く勅令又は大蔵大臣の認可を以て正貨準備の法定割合を変更し得るものとせば、非常の際に不便を感ずることなきなり。此制度実行せらるゝに於ては発行税に代ゆるに利益分配法を以てすべきや勿論とす。此の如く根本的に変更せざるに於ては、保証発行制限額の拡張の如きは之を行ふを要せず従来の如く制限外発行を頻発せしむれば事実上何等の不便なきに非ずや。制限外発行の税率は、従来極めて少数の場合の外は、年五分にして、是れ決して重税に非ざるなり。然れども、一般の通説にして保証発行制限額の拡張を必要なりとせば、何等かの形式を以て十分の報償を政府に納めしめざるべからず。然らざれば、国家は制限外発行の税率と保証発行の税率との差を損する所以にして、日本銀行の如く、国家の保護に依り安全無比なる会社の株主は比較的低率の利益配当に甘んじて可なり。由来特殊銀行等の義務は、其享受する国家の保護に比して軽少なるの感あり。更に概観すれば、大企業の社会に対する義務責任に関しては、当事者の之を感ずるの薄きは勿論、政府も世人も一般に大企業に対して要求する所甚だ少なきが如し。講演の題目を、初め「大企業に就て」となせるは、此種の感想を述べんとしたるが為めにして、以上論述せる所も、其一端と見做し得べきなり。
 金井延君の閉会の辞を以て散会時に六時三十五分。
 午後六時四十分同大学内に於て会員懇親会を開く。出席者三十五名、会員中長崎、大阪、神戸、京都等より参集せられたる者あり。宴酣にして金井委員の挨拶あり、講演者と遠来会員の労を多とし専修大学の好意を謝す。次いで遠来会員を代表して河上肇君の答辞あり。歓を尽して宴を閉ぢ、別室に於て会務を議す、金井君を座長に推し、先づ次回委員十一名即ち金井延君、北沢新次郎君、佐野善作君、平沼淑郎君、気賀勘重君、上野道輔君、神戸正雄君、桑田熊蔵君、中島信虎君、渡辺鉄蔵君、高野岩三郎君を選定し、且福田徳三君の動議に基き、常任幹事一名を増員し、東京帝国大学法科大学教授渡辺鉄蔵君を之に推薦し同氏の承認を得たり。続いて桑田幹事よりの会計報告、渡辺鉄蔵君よりの官業及保護会社問題に関する継続調査委員の報告あり。尚次回大会に就いては、会場は早稲田大学とし、主題は殆んど満場一致を以て婦人労働問題に決定せり。報告及討議の公開非公開に関しては賛否の論ありしも、結局問題の性質上より次回に限り非公開とすることとなれり。其他の点に就いては一切を幹事に一任して散会す、時に十時過ぐる十分。
 第三日(二十三日)は観覧日にして目的地は本所の貧民窟なり。同九時本所太平警察署に参集、参加者約四十名を算し稀に見る盛況なり。九時半太平署長法学士川村貞四郎君並に署員の案内の下に有名なる横川町のトンネル長屋を始め長岡町梅森町の貧民窟を視察し益する所頗る多し、十一時四十分視察を終って随意解散。深く川村署長並に太平警察署員の好意と援助とを多とするものなり。


〔2006年1月2日掲載〕




《社会政策学会論叢》第十一冊 『小工業問題』(同文館、1918年8月刊)による。





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