社会政策学会史料集



社会政策学会第十回大会記事
       (国家学会雑誌第三十巻第十二号掲載文より増減す)

同会文書係
 河津暹
 渡辺鉄蔵
 森戸辰男
 町田成美
 我が社会政策学会は十月二十九日三十日両日を卜し第十回大会を慶應義塾大学講堂に開催す、第一日を予定問題の報告討議に、第二日を会員の講演に、第三日を観覧に充つること例の如し。長崎神戸京都札幌小樽其他遠隔の地方より会員諸氏の参集せらるることは毫も変りなかりしも、朝野名士の臨場、新聞雑誌記者の来訪は其の数割合に少く、殊に一般聴衆に至っては年々著しく逓減の勢を示すものの如く、本年度大会の如き決して之を盛会と称すべからず、本会の予め定めたる秩序は左の如し。
社会政策学会第十回大会順序
 第一日 十月二十八日(土曜)午後一時 慶應義塾大講堂ニ於テ開会
一 開会の辞 東京法科大学教授法学博士 金井延君
一 討議 官業及保護会社問題
報告者
 慶應義塾大学教授法学博士 堀江帰一君
 京都法科大学教授法学博士 神戸正雄君
 東京高等商業学校教授商学士 堀光亀君
 会員討議
 第二日 十月二十九日(日曜)午前九時 慶應義塾大講堂ニ於テ開会
一 講演
 官業としての兵器製造業に就て 法学博士 本多精一君
 米国の船舶国有法 早稲田大学教授ドクトル 伊藤重治郎君
 職工組合の現在及将来 慶應義塾大学教授慶應義塾政治学士 小泉信三君
 疑問の豪州 東京法科大学教授法学博士 松岡均平君
 工場法の施行に就て 農商務省商工局長法学土 岡実君
 経済と道徳との関係 京都法科大学教授法学博士 田島錦治君
 在米日本人問題の帰趣 神戸高等商業学校教授商学士 内池廉吉君
 租税と社会政策 東京高等商業学校教授商学士 上田貞次郎君
一 第十一回大会委員の選定
一 閉会の辞
一 懇親会
午後五時ヨリ芝三田慶應義塾前東洋軒
一 縦覧 十月三十日(月曜) 鉄道院大井工場
左の予定は諸種の事情により実行上次の如き変更を見たり。尚各講演者の登壇順序及び時間を掲ぐれば次の如し。
第一日 十月二十九日(土)午後一時三十五分開会。気賀勘重君、桑田熊蔵君、田島錦治君、高岡熊雄君、順次司会。
一 歓迎の辞 気賀勘重君 自午後一時三十五分 至午後一時四十分
一 開会の辞 桑田熊蔵君 自午後一時四十分 至午後一時五十分
一 討議 官業及保護会社問題
 報告第一席 堀江帰一君 自午後一時五十分 至午後三時五分
 報告第二席 神戸正雄君 自午後三時六分 至午後四時二十五分
 報告第三席 堀光亀君 自午後四時二十五分 至午後六時二十六分
午後六時廿六分散会
一 討議会 午後七時三十分開会。於慶應義塾、桑田熊蔵君司会(非公開)
 討議参加者の氏名左の如し
小川郷太郎君 堀光亀君 福田徳三君
高野岩三郎君 武藤長蔵君 桑田熊蔵君
三辺金蔵君 堀江帰一君 内池廉吉君
工藤重義君
午後十時十分散会
第二日 十月三十日(日)午前九時四十分開会。於慶應義塾大学大講堂。堀江帰一君、高岡熊雄君、桑田熊蔵君、添田寿一君、小川郷太郎君、中島信虎君順次司会
午前之部
一 講演
 第一席 小泉信三君 自午前九時四十分 至午前十時三十八分
 第二席 岡実君 自午前十時四十分 至午前十一時四十五分
 第三席 松岡均平君 自午前十一時四十六分 至午後一時九分
午後一時九分休憩
一 会員撮影
午後之部 午後二時二分開会。
一 第十一回大会委員の選挙
一 講演
 第四席 伊藤重治郎君 自午後二時四分 至午後二時五十八分
 第五席 内池廉吉君 自午後二時五十八分 至午後三時五十三分
 第六席 上田貞次郎君 自午後三時五十五分 至午後四時四十分
 第七席 本多精一君 自午後四時四十分 至午後五時五分
 第八席 田島錦治君 自午後五時六分 至午後五時五十分
一 閉会の辞 中島信虎君 自午後五時五十一分 至午後五時五十二分
午後五時五十二分閉会
 今其の経過の大要を誌さんに、気賀勘重君司会者席に就き開会を宣すると共に慶應義塾を代表して歓迎の挨拶あり。
 続いて桑田熊蔵君登壇開会の辞を述べて曰く、「昨年より今日に至る一年間の我国に於ける社会政策上の出来事を見るに、先づ右の期間に社会政策上最重要視せらるる工場法の実施せらるゝに至りしことは頗る注目すべきことにして、殊に施行の当初より百余名の人員より成る機関によって大規模の計画を立てたることは類例少きことにして兎に角慶すべきことゝいふべし。次に挙ぐべきことは簡易保険法の実行なり。之に加入するものの多きを見れば社会政策的施設を歓迎するの気風の勃興せることを察知するに難からず。更に欧州の大戦争が社会問題に与ふる影響を考ふるに、戦争は富める者をして富を提供せしめ貧しきものをして労力を提供せしむるが故に富の平均を得しむるものと推測せしめたれども事実は其反対の証左を示せり。富める者が戦費として財力を提供せることは固より事実なれども彼等は正に遙に之に優るの利益を獲得しつゝあるなり。之に反して貧しき者は労力の提供をなすに止らず消費税の為に財力の提供をもなすものにして、従って富の分配は益々不公平となれり。尚ほ戦後の財政は抵抗力少き貧民の負担となるべき方面に増税せらるべきを以て愈々不当の結果を生ぜしむるに至るべし。而して今戦場にある幾百万の壮丁が戦後郷党に帰還すれば失業者の数を増加すべきこと疑を入れず、こゝに於いて社会問題は益々困難となるべし。此の如き世界の大勢は固より我日本国にも物質上、精神上の影響を生ぜしむべきを以って、社会問題に対する戦争の影響は大いに之を研究するの必要あり。終に臨むで本日の会場を貸与せられし慶應義塾の職員諸氏に対して深き感謝の意を表す。
 右終って直ちに討議に遷る。問題は官業及保護会社問題なり。
 報告第一席 堀江帰一君
 博士は本問題の総論的部分を担当し説いて曰く、官業は種々の原因によりて行はる、一、公共経済上の需要、二、財政上の必要、三、国家の需要する物資の製造これなり。先第一種のものより述ぶるに、公共経済上の需要あるものを私人の力のみにて供給することは困難なる故官業の力を借るの必要あり。又私人にては設備、製品の品質代価等の点に於いて公共の利益に合致し得ざることあり。且私人の資本不足にして、組織不完全熟練足らず且前途の利益不明なるが如き場合には官業として之を行はざるべからざる如き場合多し。此種の官業を我国の会計中に求むれば逓信、造幣、印刷、製鉄、鉄道等あり。第二種の官業は即ち専売にして煙草、塩、樟脳等の専売之に属す。第三種の官業は即ち軍器の製造也。我国の官業は明治の初年には頗る少かりしが現今の如く多方面に拡張せらるゝに至りし理由は民間の能力、資力、組織に頗る欠くる所ありしが故なり。明治十八年官制実施されて二十年に官業を整理し民間に払下げたるが二十三年度は官業大ひに拡張せられたり。我国の官業は成功せりやといふに第一種の官業につきては甚疑問なり。第二種のものは成功せりと云ひ得べく、第三種の官業につきては其成功不成功を判断するの材料を得るの途無し。要するに官業拡張の結果日本の財政は大に膨脹し不利益なる状態に陥り、近来の募債と租税収入と其何れによるかとの論争も其源を官業の負担の重きに発せり。官業の拡張は官僚政治の結果にして官業は屡官吏の地位製造のために利用せらるゝこと多し、彼の兵器製造の如きも民業とするを可とす。次に保護会社とは国家より特権又は国庫金の交附を受くる会社なりといふことを得べし。保護会社を銀行と其他のものに別ち見るに、先づ銀行にありては日本、正金、勧業、農工、興業、拓殖、朝鮮、台湾等の諸銀行皆種々の形に於いて保護を受け、興業銀行を除く外は総て繁栄の域にあり。是等の保護会社に対し政府が保護を与へながら他面に於いて是等をして相互に競争せしむることは不当なり。対支金融に於いて台湾、朝鮮、拓殖の諸銀行の既存せるに更に日支銀行満蒙の両銀行を之れに加へむとするが如きは此例なり。次に銀行以外の保護会社中の主なるものは海運業、南満鉄道、東洋拓殖会社等なり。就中保護の最大なるものは海運業にして是につきても保護会社相互に競争航路に従事せしむる如きは不当なりと云はざるべからず。
 報告第二席 神戸正雄君
 博士は官業に関する報告をなして曰く、官業とは政府の企業又は企業的に経営するものなり、官業を別ちて財政的官業、即ち収益を挙ぐるを計るものと、公益的官業即ち専ら又は主として公益を計るものとの二とす。本論を主として官業の可否に付き政治上、社会政策上、財政上の三点に別ちて論ぜんとす。
(一)政治上の観察点より根本的に官業は政府の職分として可なりやと云ふに(甲)消極的の根拠としてはアダム・スミスの言が常に引用せらる、政府が営利をなすべからずとの論拠は(1)官業は私人の競争者に圧迫を加ふ、(2)政府より器具を買取る者の立場より政府自身が供給する器具等に付て批難の標的となる、(3)政府と使用人との争を生ず、と云ふにあり。余の見る所を以てすれば之等の批難は大体正当なり。之等の批難を避けんとせば全然官業を廃するか乃至は (1)根本的に一切の事業を政府が納むるか (2)又単に特段なる企業に付てのみ官業を行ふべし。(乙)積極的論拠としては官業は営利を計りつゝも公益を重じ又は公益のみより経営するを得。然るに民業は公益を無視又は軽視するの弊あり。戦時輸送の迅速を要する鉄道、軍需品工業の秘密を要する者は官業可なりと云ひ得んも、大部分民業が可なるべし。其他細目に亘りて(1)官業は人民の独立心を消耗し(2)政治上の腐敗を来し(3)官業其者の放漫等の点より見て大体官業不可なるが如し。
(二)生産政策及社会政策上の点(甲)生産政策上より見て大体否定に傾く。主要の論点として (1)官吏の心理状態を見るに(イ)官吏は事業に対するインテレスト鋭からず、故に努力を鈍くす(ロ)官吏は消極的責任の自覚あれども積極的責任の自覚無く危険を伴ふ事業には不適当なり (2)執務の形式の点より見て手続繁雑となり動揺するコンユンクツールに応ずるを得ず。尚附随の論点として否定的の論拠は (1)政府は官業の外に成すべき本務を持ち其仕事のみに専なるを得ず (2)官業拡張して独占となる場合は民間の批評等行はれざるに到り改革行はれず (3)民業又は全体の企業発達を妨ぐる事等を挙ぐるを得。次に肯定的の点として官業は (1)民業にして比較的費用少額なるを得品質の良好なるものを供給し(3)必要有益なるものを適当に供給し得る等の利益あり。(乙)社会政策上の観察よりすれば官業肯定の理由多し (1)分配の均衡、官業の存在するだけ少数資本家の富の増殖を妨げ不労増価を少くする等の点あり、官業は供給物の価格を定むるに付き社会の各階級間の利益を調和せしむる様に仕組むを得。(2)労働争闘の点に関しては政府自ら此渦中に投ずるの弊あり。(丙)生産政策並に社会政策上の両方面に関連する観察点よりすれば官業なれば公債によりて資金を得る事となり、民業は少くとも一部は株式となり投機を刺戟して事業を不確実ならしむ。
(三)財政上の点よりすれば肯定否定相央す (1)収支関係を良好にす、収入を減じ又は増加し、支出を節約する事となる利益あり、但し之が反対の論拠として(イ)民業ならば租税を課し得、民業発達すれば益々租税を増すを得(ロ)官業にては又一面収入減少、支出増加の見込あり即労働者の要求賃率の低下等を来す、民主国に於て殊に然り。 (2)財政の独立を得、但し人民の租税監督怠惰となる等の反対論あり (3)財政の信用を大にす (4)人民の租税負担軽易となる。之が反対の論拠として、人民の知らざる間に租税を取るは不当なり、官業の場合にも租税に準ずべき負担あり等の論拠あり。
 結論として官業民業には絶対の当否の議論は出来難し、大体財政収入の為めに官業を行ふは不可、公益の為め止むを得ざる場合に於て公益の為めに行ふべし。(イ)、各官業資本の約九割を占むる日本の国有鉄道は官業に留むるも可なるも、然らば賃率を低下し多少の損失をも辞せざる主義に改むべし。(ロ)、軍需品工場は極秘を要する外大体民業に譲るべし、製絨所の如き払下可なり。(ハ)、製鉄所は前二者に対する原料供給に或程度迄必要なるも之を拡張し市場に於て民業と競争するは不可なり。(ニ)、製材所も官有林の管理に附帯して或程度迄必要なり。(ホ)、貨幣の鋳造印刷所等は止むを得ざらむも製紙所は現状廃するが可なり。(へ)、専売制度は原則として好まざる所なり。
 報告第三席 堀光亀君
 学士は専ら保護会社につきて報告せられたり。其要に曰く予は保護会社の真相につき十分なる研究を試みんとしたれども、保護会社には秘密ありて外間より窺ひ知ることを許さず、勢ひ其の営業報告、公刊の材料に由らざる可らざるか故に徹底的断案を下すこと能はざるを憾とす。抑も国家には公共団体が経営上私設会社を保護する場合は所謂一般的保護にあらずして特定的保護なるが故に予の論ず所も特定的保護の可否に関するものなり、而して予の報告をなすに先ち一言すべきことあり、予の保護政策に関する態度なり。予の立脚点は自由主義にもあらず、保護主義にもあらず国利民福主義なり、即国利民福の観察点よりして保護を必要とすれば保護すべく然らざる以上は保護す可らざるなり。国家が国利民福上私立会社に保護する場合に決し置かざる可らざるは、会社自身を保護するか、将又事業を保護するかといふことなり、理論上よりいへば会社を保護する時には経営者の私腹を肥さしむべき危険あるが故に事業を保護せざる可らず、然れども如何なる事業をも保護して可なりやといふに決して然らず、其の事業は公共的性質を帯ぶるものなると同時に収支償ふこと能はざるものならざる可らず。公共的事業は之を民業に委ぬべからず、官業とすべく従って民業を保護する必要を生ぜずと論ずるものあるべし、然れども、事業の性質上官業となす可らざるものあり定期航路の如し、たとひ之を官業となすを得るとするも財政の都合上之をなすこと能はざるものあり、かくの如き場合には勢ひ民業として之を保護するの必要あり、加之保護すべき事業は内国に競争あるものなる可らざるなり、国家は一方に厚く一方に薄きの嫌を生ずべければなり。而て保護の方法は往昔と異り排他的なる可らず、其力を養成するを主眼とせざる可らず。次に保護の程度は保護会社が其の事業に由り生ずべき損失を補填するに止むべきか相当の利益を生ずる程度に止むべきか学者の中議論あるべしと雖も一概に断ずること能はず。要は国家の財政の状態と、会社経営者の公共的精神に由りて自ら帰着点を見出すことを得べく、而も事業が独立することを得る程度に進めば之を廃せざる可からざるなり。保護は動もすれば弊害を生ずるを免れず、之を防禦するの道は詮ずる所人間の問題に帰す、経営者にして公共的精神あれば弊害を生ずることあらざる可く、経営者にして其の精神なく従って弊害を生ずとするも、政府当局者にして公共的精神あれば之を矯正すること蓋し難からざるなり、国家は積極的施設をなす権利あると同時に其の義務ありと。以上は同教授の報告の緒論なり、教授は更に話頭を転じて我国に於ける保護会社を(一)海運(二)鉄道(三)銀行(四)拓植(五)植民地の事業の五種に分類し各種につきて、其会社の概況と及び政府の之に対する保護の程度並に方法につきて詳細に説明し、之を前に陳べたる理論に照し批評する所あり。最後に東洋拓植会社の如きは世上幾多の非難ありと雖も、これ前に陳べたる人間の問題にして政府の之に対する保護の方法又は条件の如きは他の保護会社に比較して遙に優れるものありと説き、更に論鋒を転じて教授の最も造詣深き海運事業を取って極めて詳細に保護会社の会計状態を説き、更に進んで、我国政府がこれ等保護会社に対して保護金を出す代りに会社をして夥多の束縛に服せしめたるが、其中運賃は政府の認許を経て之を決せしむるが如きは、欧州戦乱の結果、運賃の暴騰したる今日、我国貿易の発展に大なる利益を致せり、故に単に政府が保護金を出せる事実のみに由りて直ちに保護の可否を決す可らず、種々の方面に亘りて影響を調査したる後に之を論定し得べきなり、且つや定期航海の如きは永久的性質のものなれば、之を永久に維持するの基礎を作るの要あり、従って一時の利益が多かりしといふのみにて直ちに其保護を廃すべしとの結論を生ずること能はざるなり。惟ふに保護会社の経営に当るものは其の公共的良心に訴へて、事業の為に保護を要求するの必要ありとせば之を求むる可なりと雖も若し其の必要少しとならば、其の利益の甚だ多き今日、須く之を辞して独立するの勇気なからざる可らず、政府も尚之を保護すべき必要ありと見れば須く其の保護すべき航路を択びて之をなすべきは勿論、其の保護の方法にも東拓の例を参酌して屈伸力を有せしめざる可らざるなりと説く。教授の報告は極めて詳密にして二時余に及び予定の時刻を過ぎたるが故に、司会者高岡博士は食後非公開的に会員討議を継続することを宣して閉会を告げたり、時に六時を過ぐる二十六分。
 午後七時三十分会員討議会を別室に開く、例に従って非公開なり。桑田熊蔵氏議長席に付き開会を宣す、報告者の一人たる神戸正雄君は万止むことを得ざる事情の為めに欠席せらる、討議の要綱を左に摘録せんに劈頭小川郷太郎君と報告者堀江帰一氏との間に質問応答あり。
 小川郷太郎君、堀江博士は大体に官業不可なりとの論旨に聞きしが斯く考へて差支無きや。
 堀江帰一君、否或種類の官業の不可なるを述べしも造幣局の如き官業たらざるべからざるなり、専売の収入を上げ居るを説きしも之当然なれば、之を廃して租税に代へるや等の点は論ぜざりしなり。
 小川郷太郎君、現在の官業を如何にするやに付て御考如何。
 堀江帰一君、其点迄は考へず。
 小川郷太郎君、鉄道も酷評せられしが払下ぐべきものなりや。
 堀江帰一君、然り、然れども之大問題なれば今日直ちに論ずるを得ず。
 小川郷太郎君、軍器製造に付ては堀江君は国際的商品なれば外国にも販売するといふ立場より日本の兵器製造は官業不可なりと云はれしが砲兵工廠も払下を可とするや。
 堀江帰一君、否砲兵工廠の事業の或部分は払下げても不可なる部分有るべしと云ひしのみ、如何なる部分を払下げて善きか調査せざれば不明なり。
 堀江小川両君、質問応答の後小川郷太郎君起って其所見を述べて曰く頃日民営論盛なりし頃露国よりの注文の一部分を民業にて製造せしめしが成績不良なりしは事実なり、製鉄事業にしても民間の企業は八幡製鉄所無くんば発達するを得ざるべし。製鉄所を払下げて何人が取るやと云ふに大富豪なり、漸く財政上の助とならんとする時払下げて一二のカピタリストの懐を肥すが財政上経済上可なるや、又財政上専売を廃して日本の財政を行ふことを得るや、租税は極端に増し得るものにあらず、鉄道に付ても神戸氏は手数料主義を主張せられたり、理想的には手数料主義が可ならむも近き将来に於て実行不可能なり、又経済発達すれば運賃を引下ぐるも収入を挙げ得るものにて財政上の助となるなり。神戸君が官業は国家を使用人と国家との争議の中に投ずると云ふ議論は問題とならざるべし
 高野岩三郎君、他の官業に付ても全然払下ぐるものなしと云ふにあらざるべし、千住製絨所の如きは如何と質す。
 小川郷太郎君、小問題なりと思惟す。
 桑田熊蔵君、神戸君の手数料主義は鉄道網全体に就て実費支弁と云ふ意にあらずや。
 小川郷太郎君、そは手数料主義にあらず、現に特別会計に収入を挙ぐるの主義にて経営せり、漸次一般財政の助となるに到るべし。
 武藤長蔵君、神戸君は旅客の運賃に付て手数料主義を主張せられしや将た又貨物の運賃に付てなりや、両者に於て社会政策上非常に差異ありと思ふ、又鉄道は道路と同じくなるが理想なりやと小川君に質す。
 小川郷太郎君、国費が剰余を生ずれば理想なるも鉄道は流動資本を要するを以て非常なるゾチアリスムスの時代に近づきて始めて行はれ得べし。
 武藤長蔵君、経営主義には収入主義の外手数料主義と無償主義とあり、道路の如く無償主義を行ふと云ふにあらざるべし。
 小川郷太郎君、然り手数料主義も困難なりと信ず。
 福田徳三君、小川君が社会主義的の社会となれば無償主義にて可なりと云ふは首肯するも、武藤君が永久に無償主義不可なりと云ふは何故なりや。
 武藤長蔵君、利用する者が異れり。
 福田徳三君、山間の道路は鉄道等と此点に於て同一なるにあらずや。之に対し
 堀光亀君、鉄道は遠距離の交通にて之は一般的に必要なし、吾人の道路を利用する如く普及せず、況や鉄道網は自ら制限あり、鉄道は速力の関係上遠距離の交通に必要なり故に一般的ならず、鉄道に一生乗らずして死亡する人すらありと答へ、之より漸く枝葉問題たる鉄道、道路の差異論に花を咲かす。
 高野岩三郎君、何故普通の道路は一般的にして鉄道は一般的にあらずや普及は何れも望ましからずやと堀君に質す。
 堀光亀君、鉄道は技術上普遍困難なり、道路は公平に普及せり。
 福田徳三君、道路は歩行する所を作れるのみ、汽車は乗物も道路も供給す、此点に於て差異が存するなり、一般的なりや否やが問題にあらず、又小川君が神戸君の手数料主義に疑を抱くは同感なるも、国家が収益を目的とする事業を為して可なりと云ふ論拠は財政上、国民経済上将た社会政策上何れにありや。
 小川郷太郎君、一様に率するを得ず官業にも勿論一定の限界はあり、専売の如きは財政上の理由強し、鉄道は財政上の理由並に国民経済上の理由存す、総て自然的独占事業は政府の所有する事国民経済の発達にも資し之社会政策上の要求なり。
 堀光亀君、福田博士は下駄の損料を自ら払ふ如く汽車の石炭、運転費の為めに運賃を要するを以て賃率を払ふなり、普遍的なる事が問題にあらずと云はれしもカピタルなる点より見れば此点は同一なり、費用の多少を問はず普遍性なれば無償主義可なり。
 福田徳三君、小川君に聞く手数料とは如何又ベトリーブとは如何。
 小川郷太郎君、手数料とはコステンデックングの主義に依るものなり、コストの意義は時代の観念にて定るべし。ベトリーブとは資本労働を結び付けコステンデックング以上にユーベルシユッスを得んとするものなり。
 福田徳三君、小川君はベトリーブスコステンの事を云ひ固定資本の事は別問題となせるが如し、建設費もコストの内ならむ。
 小川郷太郎君、今日手数料と云ふは固定資本迄も含めて云はず、更に堀君に向ひゾチアリスムスの世の中が現出さるゝようになるも無償主義は不可と云ふか、鉄道の長距離論を以てしては街鉄の説明如何と質問す。
 堀光亀君、余は鉄道は官有を可とす、理想的には手数料主義可なり、而かもフォレンデックングが可なり。
 小川郷太郎君、社会主義の時代に於ては如何。
 堀光亀君、此の如き時代ならば勿論無償主義なり、余は其場合国家社会主義を採らむとす、官業より除去すべきはビューロクラティズムのみ、鉄道の如く大資本を擁し且つ政党の具となるものは国家的観念に富める為政者がビジネスライクに経営せむ事を望む、又市内の交通と山間僻地の交通とは異れり、市内交通は余程一般的なり。
 高野岩三郎君、堀君は鉄道国有論にして手数料而かもフォレンデックングの主義が可なりと云はるゝが普通の道路に付ては如何なる考なりや。
 堀光亀君、道路は非常に普遍的なると実際徴税困難なりとの理由の下に無償主義可なりと思惟す。
 高野岩三郎君、道路は普遍的なりと云はるゝも道路にも種々あり、国道にても県が費用を負担する事あり、斯くして市道村道等に就て結局其道を最も多く利用する人が多く負担せり、全然無償にあらざるべし。
 堀光亀君、無償主義と云ふも全然負担無しと云ふにあらず、間接には有償なり。
 内池廉吉君、余は小川君に問ふ、鉄道の如きパブリック、モノポリイは営利主義にて経営するも多少手加減を要すと信ず、神戸君は此意味にて述べられしにあらずや。
 小川郷太郎君、鉄道の収入主義に公益主義を加味するも収入は増加すべしと云ふは否認せず而かも神戸君がアダム・スミスの議論より見て収入主義の不可なるを重復して述べられたるを記憶せり。
 三辺金蔵君、堀君は道路は鉄道とは一般的と然らざるとの差ありと述べられ理想の社会にては無償にすべしと述べられしが、之矛盾なるべし、社会主義の社会にても差別的の物は之を取らざるべからず。
 堀光亀君、余の述べしは、私有財産を認めざるユートピアの時代なり、小川君に訂し度きは神戸君は鉄道にて損失を成すも可なりと云ふは運賃が安くなれば一般の経済発達し通商交通増加して国家の収入を増すと云ふ意にあらずや、之ナショナル、インカムの非常に大なる眼より見たるものにあらずや。
 小川郷太郎君、唯今の議論を堀氏の説として見るにナショナル、インカムが生じ、之が一歩進めば無償となるものにて又電車も無償迄進めりと云はるるならば、之等インカムの一歩増加したるを前提とせらるゝならむ、無償として可なるべし。
 福田徳三君、堀君は官業に不可なるはビューロクラティズムのみなりと云はるゝもビジネスライクなるはエルエルブスズフトあればなり。根本問題は官業にエルエルブスズフトを認むべきや否やにあり。余は国家が一方租税を取りつゝ商業をなすは不可なりと信ず、余が官業を拡張せざるべからずと云ふは社会政策上の理由のみなり、国家は租税のみにて経費を支弁するを得、又造幣局兵器製造が官業ならざるべからずと云ふ堀江君の議論には賛成出来ず、沿革的に私人が為し居たるなり、収益に付きゲビュールの観念は小川君の意見に賛成なり、故に日本の官業にては手数料主義が行はれ居らざるなり。
 小川郷太郎君、福田君が社会政策の方面より官業を弁護せらるゝは賛成なるも政府は租税を以て財政を施行すべしと云ふは簡単に断じ過ぎたり、其証拠には社会政策上より商業を認むるなり、次に租税にて支弁すべしと云ふならば国費は租税にて支弁し得るを証明せざるべからず、経費の増加は福田君も認めらるゝが如し。
 福田徳三君、社会政策を行はざる如き国家は商業をなすは不可なりと云ふのみ、軍備と社会政策をやらざれば租税のみにてやって行けるべし。
 武藤長蔵君、道路は一のフェルケールスエレメントなり、鉄道は道路、動力、運送具三者が一体として経営され居るフェルケールスミッテルなり、此差異は余も認む、而かも道路は無償、鉄道は営利主義と云ひしは一般的に使用さるゝや否やの問題なり、鉄道国有の可否保護の可否等は国に依って決すべきものならむ、堀君に訂し度きは鉄道が若し国有を必要とせば同じ理由にして海運も国有たるべし。
 堀光亀君、フェルケールスミッテル及びフェルケールスエレメントの議論は余の論の焦点ならず、道路も一の資本なり、之を利用する事は同一なり、此問題は矢張り一般的か否かと云ふ議論ならざれば解決出来ず、且つ道路も一のフェルケールスミッテルなり、鉄道は唯オーガナイズされ居るのみなり。又海運が鉄道と異るは国内に存在するものは絶対に国家の最高権の下にあり、故に国有実行し易し、海運に付ては外国と外交上の紛議を譲し易し、海運の如く競争的なるものに付ては官吏の官僚的なる事が不可なり、鉄道は一のルチィンによりてやって可なり、要するに海運に付ては、国有の弊が利よりも多し。
 武藤長蔵君、国家が鉄道を経営し専売等を為すに、如何にすればビジネスライクに経営し得るかに付き現在の鉄道院の組織、専売局の組織等に付て諸君に改革の御意見無きや、
 桑田熊蔵君、余も類似の意見を有す経営の拙劣は制度の問題?人の問題?制度の中心なる作業会計法、計算金銭の出納に関したる欠陥あるべし、此点充分に御研究を願度し。
 小川郷太郎君、日本現在の問題にて具体的に特権会社の補助金を如何にするかゞ社会政策学会が、態度を定めて行くに必要なる問題にあらずや。堀江君、堀君等の議論は少くとも補助して利益有る時に償還せしめざるは不可なりと云ふ点は一致せしが如し、堀君は定期航海は官業の委托なりと云ふロジックを取られしが、何故一歩を進めて儲かった時には或程度に於て国家が分前を取ると云ふ程度に進まざるや、堀江君の国家の特権を行使せりと云ふ点より見るも、利益の一部を政府が取ると云ふ議論出来ざるや、
 工藤重義君、官業の問題は具体的に云はざれば到底困難なり、鉄道は原則として官業可なるは異論無し、支線は現在の状況に付き民業に移せば可なりと思ふ、支線は収利少なければ個人が経営せず多数者に利益を与ふべし、収利少きも一方工事困難等の事無きを以て経営者有るべく且つ官業は支会社が経営し、線を取扱ふ事粗となるべし。又支線は最も政党の具たり易し、旁々民業可なり、其他の官業にても其範囲広く附属的事業迄も国家が経営するは不可ならむ、又桑田君が特別会計云々と云ふも之は制度の罪と云ふよりも寧ろ特別会計を設けたるが為ならむ、之が為め濫費の虞あり。
 時刻移れるを以て桑田議長閉会を宣せらる時に午後十時を過ぐる十分余。
 第二日、二十九日午前九時九時四十分開会、生憎の雨天と構内に虎疫発生せしめため聴衆前日に比し更に少し。順序に従ひ講演の概要を摘記せんに、
 第一席 小泉信三君 職工組合の現在及将来(英国労働者運動の近況)
 英国職工組合運動は一八八〇年代に入り、一方社会主義思想復活の影響を受け、他方資力に乏しき無熟練労働者間に組合普及せる結果として著しく社会主義的色彩を帯び来り、共済組合的職分と自力自助主義とを捨て漸次重を同盟罷工及び国家の立法的干渉に措くに至れり。千九百年より大凡十年間労働者は専ら力を政治運動に集注し、千九百六年の総選挙に於て四十一名より成る労働党を議会に送ることを得たり。労働階級は始め多の望を之にかけたるも労働党は夢想せられたるが如き事業を成遂ぐること能はず。茲に於て彼等は労働党に希望すると共に政治運動の効能には自ら限界あるを覚り、政治運動と共に力を職工組合運動に注ぐの必要を新に痛切に感得したり。千九百十年以後開戦に至るまでの所謂「労働不安」は此の如く解釈す可きものにして時を同ふして組合の数量的勢力は大に増進せるを見る。
 さて労働党の将来は如何。答に曰く有望とは云ひ難し、蓋し、労働者階級の甘心を買ふに汲々たる自由統一両党の間に処して特に自党に得票を集め得るほどの特色ある政綱を掲ぐること困難なるを以てなり。此点に於て労働党は独逸社会民主党と全く境遇を異にす。最近に於て労働者は集産主義のみに将来を托す可らず、コレクチヴィズムの国家に於ても生産者としての利害は職工組合を益々強固ならしむることに依てのみ保障し得可きを覚るに至れり。近時更に進んで生産財産は之を国家の有に移すと同時に其経営は之を一生産業に於ける被傭者全体を包含する職工組合の手に移さんと提説するものあり。Guild Socialism 即是なり。大陸のシンヂカリズムが与へたる教訓は消費者偏重の集産主義に走らんとする英国労働者を止めて生産者としての利害と自由とに就き反省せんことを促がしたる点に存すと云ふを得可し。
 第二席 岡実君 工場法令の施行に就て
 工業の重要は平戦何れの時に於ても聊も変らず。殊に我国に特有なる事情は我が国民経済にとり工業勃興の必要を益々緊切ならしむ。然るに工業は他の職業に比し概して不健全なるが上に、工業家間の競争激甚を加ふるに従って其の程度は大に高まり、更に最近に於ける化学工業の勃興は愈々此の趨勢を助長せり。是に於て各国政府は工業生活を自然に放任する能はず、之が規律干渉をなすに至り、かくて十九世紀の後半以来諸方に工場法の成立を見るに至れり。工場法の内容をなす取締事項は分ちて二となす、一般工業労働者殊に弱者の保護を目的とする就業時間、休憩時間、徹夜業、危険有害なる業務、扶助料、徒弟、職工の募集、雇入解雇等に関する人的取締規定は其の一、健康風紀公益の維持を目的とする工場建設物及諸設備の監督に関する物的取締規定は其の二なり。我が現行工場法規は法律二十五条の外施行命令を併せて百ケ条、而して其の制定施行の精神的動機は之を砕いて云へば規律、慈悲、衛生の三点に存し、之を学問的に云へば資本の専制より労働者を救ひ資本労働の調和を実現せんとするに存す。我が工場法の由来する所は遠く明治十四年の昔に存し、四十四年の制定に至る迄三十年間、推敲に推敲を重ねて漸く其の成果を見るに至りしも、時に利あらずして施行の遷延せらるること茲に五年、昨年九月大隈内閣は漸く実施の方針を決定し、施行細則の成立を竢って本年九月より遂に其の実行を見るを得たり。而して国庫は二十五万円の国費と約二百名の専門官吏とを用ひて、全国二万に近き工場と百万に近き労働者との監督を始むるに至れり。然れども此の工場法規の制度は坦途を行くが如きものにあらずして迂余曲折、諸多の難問に逢着せり。即ち法律にありてはその適用範囲、就業時間、徹夜業禁止、婦女幼少年工使用の禁止制限、徒弟、各地方に散在せる工場所有者の責任、設備に対する改善命令権、幼稚なる例外規定の将来に於ける処分等に就いて種々の議論が戦はされ、施行命令に就ては適用範囲除外例の具体的決定、職工扶助料の程度、扶助料の法律上の性質、殊に民法上の損害賠償との関係、職工と工場主との争議裁定の機関、職工扶助と共済組合との関係、徒弟の取扱、学齢児童の使用と義務教育の問題等に就き各種の意見の発表を見、各相当なる実際的又理論的根拠を有せしが遂に現行法規の如き決定を見たり。而して当局は工場主をして工場法の精神に同化せしめてその実行を遺憾なからしめん之とを期し、誘導啓発以て工場法精神論の伝道普及を努めつつあり。実施後日猶浅ければ之が成績を兎角云ふは尚早ならん、されど工場に於ける病者の減少、職工効程の増進、賃銀支払に関する不平の減少、好景気に伴ふ工業主の設備改善、扶助料の法定と共に之に関する紛議の減退、職工名簿の調製の副産物として明かになり来れる新事実等に関する報告は私かに当局の喜とする所なり。工場法の施行によりて職工の負傷率疾病率明かとなり、茲に次に来べき社会政策労働保険の基礎は置かる。之を要するに我国には未だ労働不穏なし。外国の社会政策が病理的疾患手段なるに反し我のそれは衛生的予防手段なり。而して階級闘争の禍害を未然に防がんがためには大に法制の力に竢つ所あると共に道徳家宗教家の援助に負ふ所頗る大なるものあり。
 第三席 松岡均平君 疑問の豪州
 豪州の首都メルボルンに於ける連邦議院の側に記念碑の聳立せるあり。碑面に刻して8×4=24と銘す。八に四を乗じて二十四となるが既に疑問なる如く、八時間の労働、八時間の休息、八時間の睡眠、八志の賃銀を以て理想の一日となす労働党の勢力によって築かれ、屡々社会政策の理想国労働者の天国を以て呼ばるる豪州の社会其者も亦是一大疑問たらずんばあらず。豪州に於ける社会政策は欧米諸国のそれに比し其の由来する所の古きのみならず、其の基礎に於ても亦甚だ異り、即ち彼にあって為政家互譲の結果なるもの、此にありては労働者自身の手盛たるなり。之を政策の内容に就て見るに、労働日数労働時間数に於て、最低賃銀の制度に於て、工場法に於て、養老年金制度に於て、小農の保護奨励に於て、賃銀協定局仲裁裁判所等の労働争議防止制度に於て、連邦銀行貯蓄金庫、生命保険、鉄道、港湾の経営等の如き官営事業に於て、其の思ひ切ったる進歩的諸施設は到底諸国の企及し得る所にあらず。而して此の善美なる社会政策は果して如何なる福祉を豪州の、天地に齎しつゝあるか。先づ政治的社会的影響に就て之を見るに、労働党の跋扈職工組合の横暴は其の最も顕著なるものなり。而して彼等の軽跳にして突飛なる執政は啻に労働者以外の不平を買ひつつあるのみならず、労働者自身も亦決して之に満足し居らず。労働者の境遇如何と見るに一方組合外の労働者の生活は頗る悲惨を極め、他方組合労働者は懶隋にして勉めず、贅沢に泥んで勤倹の風地を掃へり。且つ工業萎靡して失業者多きを加へ、一見非常なる賃銀の上昇は又更に驚くべき物価の騰貴によりて悉く差引せらる。而も彼等は猶桃源の夢円かならんことを欲して白人豪州を唱へ、以て東洋人を排斥し更に進んで白人の入国をすら防止せんことを努む。善美なる社会政策の成果、果して此の如きか。次に経済上の影響を見るに、豪州労働者の富有なるは社会政策の功績にあらずして豊富なる資源と稀薄なる人口との当然の結果なり。天恵裕にして穀物、牧羊、金鉱、石炭等の原始産業に利ありと雖も、此の有利なる条件を持ちながら工業は微々として振はず。労働争議防止の諸制度にも拘らず同盟罷工は反って其の数を加へ、労働時数の短縮、最低賃銀の法定、能率の減少と相俟って企業の経営を困難ならしめ、爰に工業はその繁栄の基礎を失ひ、永久的一般的保護関税の城壁に守られて僅に俺々たる気息を支へ得るのみ。善美なる社会政策の成果果して此の如きか。終りに財政上の影響如何を見るに、養老年金其他の社会政策的諸施設は国庫に多大の負担を加へ、多くの官業の成績亦頗る面白からず、加ふるに官業の拡張と共に之に従事する官吏数著しく増加し従って行政費亦甚しく嵩みたれば、財政難は年と共に加はり、所有る税源の誅求を勉めながら国債は益々増大するの勢あり。善美なる社会政策の成果果して此の如きか。是れ余輩が曩に豪州に於ける社会政策の効果に就て疑なき能はずと公言せし所以也。縷々述べ来りたる所によって吾人の学び得し所は、社会政策は他の諸事情と歩調を共にすべきこと其の一、国情国体の差異を考へずして出来合ひの社会政策を行ふは百害あって一利なきこと其の二なり。かく言ふも余輩は社会政策其者の価値を疑ふものにあらず、唯その軽卒にして無思慮なる適用を警めんと欲するのみ、他意あるにあらざるなり。
 午後一時九分松岡君の演説を終って後休憩、其間会員撮影。
 午後二時二分引続き開会、添田寿一君司会者席に就き第十一回大会委員の選挙を終り再び講演に遷る。
 第四席 伊藤重治郎君 米国の船舶国有法
 余は米国船舶国有法案に付て其案の因て来る方面を述べ並に案の内容を批評せんとするものなるが、主とし沿革的方面に付いて述べんとす。
 米国海運の衰亡は国内の発達の為め企業資本を内部に向はしめたるに起因す。而して其海運の南北戦争後回復困難なりしは或人の説によれば亜米利加貿易が主として大西洋に於て行はれ荷物がワンサイデットなる事又欧州航路を主とせるため競争激甚にしてコンファランスの成立せざる事其他に原因すと云ふ。而して南北戦後其船舶噸数は再び百五十万噸以上に登るを得ざりき。他方に於て、貿易は漸次増加しつゝあり、自国貿易は自国船舶をして運ばしめざるべからざるが一般の俗論なり、一八七二年遂に一の補助法を出し南米並に極東航路に向って補助を与へたり、而かもパシフィック、メイルに対する補助が百万弗の賄賂を以て通過したるの事実発覚したる為め第二回以後の補助を持つを得ざるに到る。一八九一年迄補助法の提出せらるゝもの無し、此間パナマ問題に対する態度も漸次変遷を来し、一八九一年メール、サブべンション、アクト出で郵便逓送を為す者を補助せしが効果著しからず、一八九三年より一九〇〇年に到る迄八件の補助出でしも否決せられたり、案の内容は外国船舶に積載し来る貨物に重率を課せんとするもの即、ディスクリミネーションによらんとするもの、外国船舶の無税輸入を許さんとするもの、何れも政府をして出費を要せしめざる案なり。十九世紀の終に於て金銭を支出するの案出でしも否決せられたり、一九一二年迄に提出の案六あり、其内の一のみ法律となり、他の一は委員を組織するに到れり、毎回議会に法案の提出せられざる事無く、各政党のプラットフォームは皆政綱の一とし、レパブリカンは出費を意とせずデモクラットは出費を排斥す。法案が通過せざるは 1.政治上の意見の相違 2.上下両院の不調和 3.自国の海運無くとも商業は繁栄す、海運振はざるは収利少きに因る等の有識者の反対 4.自由放任思想 5.南部は船舶の補助に熱心ならずこれ南北の争等に起因す。然るに戦乱開始後事情の変遷を見たり、欧州交戦国其他中立国に物を送り得る者は合衆国以外に之無し、而かも南北米共運送を全然外国に依頼せしを以て売らんとする者山の如く堆積し、購買者は対岸に之を待てるに拘はらず、其船便無く戦乱開始後亜米利加の貿易は一ケ月平均一億五千万弗より一億三千万弗に落ち、十二月に到る迄正常の状態に恢復せざりき、然れども此経済的理由のみにては未だ国有案を取るに足らず、他に大なる因無かるべからず、即ち Preparedness の問題なり、独逸潜航艇の横暴、墨西哥問題等は外交談判上北米合衆国武力の必要を自覚せしめ、其結果は一方に陸軍案(本年五月通過)、他方に海軍拡張案となりて表はれたり。海軍に対する補充の必要上茲に始めて国有案の論拠成立するに到れり、故に国有法案は必しも戦後の出現にあらず、海軍拡張案は既に戦前にあり、之が補充として国有案の提出を見本年八月通過するに到れり。此法律は 1.政府が五千万弗の公債を起して船舶を購入する方面と 2.海運賃率同盟を監督するとの二方面あり。而して実施上の困難は其購買すべき船舶の存在せざるにあり、交戦国にて船舶の輸出を禁ぜざるもの無く、亜米利加の造船所に於て一九一七年七月迄に建造し得べきもの二十九万噸に過ぎずと云ふ。
 第五席 内池廉吉君 在米日本人問題の帰趣
 日米問題は我国にては近頃多少下火となりし様なるも米国に於ては然らず、地方問題より移って国家問題たらんとするの勢あり。日米問題とは要するに日人排斥問題にして、形式より之を分ては未入国者に関する移民問題と既入国者に関する在留日人問題となる。先づ移民問題より説明せんに太平洋岸に於ける東洋人排斥は余程以前よりのことなれど日人排斥の具体的に表明せられたるは一九〇六年夫の学童事件に関連して締結せられたる紳士協約に始まる。
 体面論より之が撤廃を主張せる日本側の議論と、国家の移民選択の自主権を主張して日人排斥法を制定せんとの米国側の議論とは常にその跡を絶たざるも、今日の所紳士協約は依然として効力を有し、日人排斥の実際的結果を示し居れり。余の考ふる所によれば米国移民は優勝国に於ける移民なれば植民又は侵略的移民を以て論ずべからず、彼等は在住期間米国の主権に服従する覚悟を必要とす。而して此の如き移民の輸出は我国にとり著しき労力の損失なるのみならず、米国にとりても亦諸種の事情を異にする我国よりの移民を収容することは政治上社会上経済上重大なる不利益を伴ふ。素より日人の入国禁止を以て正理となすにあらずと雖も蓋し止を得ざるの処、唯之を行ふに当り人道と公平とに依らしむるに勉むべきのみ。次に在米日人問題なるが、米国人が加州土地法其他によって既入国者たる邦人に加ふる圧迫は極めて不当なり。されど冷静に考ふれば在米邦人の送金が我が国際貸借に及ぼし、彼等の日本品需要が我が輸出貿易に与ふる影響は取り立てゝ云ふに足らず、又在米日人は其人口より云ふも其の経済的社会的重要より云ふも米国全体より見れば僅に九牛の一毛、之れが影響は決して恐るゝの要なきなり。然るに此の問題が案外重要視せられて米国の上下を震撼しつゝある所以の者は其の原因果して奈辺に存するか。彼の提唱する日人排斥理由を聞くに(一)日人は賃銀を低落せしめて生活程度の降下を来し且(二)日人は社会上同化せずと、されど実際の事情に従へば紳士協約以来日人の数は増加せず、需要に比して供給不足し、賃銀は昂騰し生活程度亦漸次改善しつゝあり。且つ米国の如き種々なる労働機会の豊多なる社会に於ては生活程度の高き者と生活程度の低き者と互に相角逐するの必要なし。同化問題に至っては其の責任の大部分が帰化権を認めず結婚を許さず土地所有権迄も否認せんとする彼に存するは云ふ迄もなし。果して然らば日人排斥の真因は何ぞや、曰く人種的偏見之なり、人種的偏見は日米問題解決上の一大暗礁なり。自ら持すること高く他種族と融和せざるアングロサクソンの血を受け、久しく黒人問題にて手を焼きたる米人は人種問題に就いては極めて神経過敏にして、現に人種的偏見を以て福音なりと称する輩すら存すると云ふ有様なり。日米問題の真因果して此処に伏在するとせば之が解決の方法は争闘によって黒白を分つか、宗教教育の啓発に竢つか、将又隠忍之に耐ゆるかの三途あるのみ。
 第六席 上田貞次郎君 租税と社会政策
 昨年の本会大会席上に於て田中博士はワグナー一派の提唱する社会政策的租税政策の謬妄を指摘せられ、其の著書の示す所によれば堀江博士亦同様の見解を抱懐せらるゝものの如し。而して其の理由とする所は結局、社会政策的租税は(一)正義の要求に反し(二)手段の為めに目的を犠牲すとの二点に帰着す。果して然るか。先づ第一点に就き考ふるに租税賦課に関する正義の問題は正統派学者の創めて唱道せし所にして、彼等の之を論ずるや其の経済政策上の根本思想と密接不離の関係を有せり。彼等は最善の経済政策が自由放任に存することを確信せるが故に、自然の運行を撹乱する凡ての人為政策を否認し、従って分配状態に干渉して貧富の調和を計らんとする社会政策に反対す。故に彼等は各人の所得に比例して課税し、結果に於て自然の分配状態を紊すことなき純財政的租税政策を以て正義要求に合致すとなし、貧者を減免し富者に重課して分配状態を変更せんとする社会政策的租税を以て正義の要求に背馳すとなす。吾人は素より彼等の主張に賛せずと雖も彼等の正義論も論旨一貫す。然るに我が両博士は恐らく正統派の楽観説自由論を遵奉せずして社会政策の必要を認む、即ち正義論の淵源する根本思想を懐かず。故に彼に正義不正義の問題あるも此に便不便の問題あるのみ。正統派の人々にして始めて理論の上より社会政策的租税を否認し得るも社会政策論者たる我が両博士の如きにして之を敢てするは当に論理上の誤謬たらずんばあらず。社会政策的租税は正義の要求に反せず、されど租税政策は果してよく社会政策の目的を達するに適切なる手段たり得るか。問題は進んで第二点に入る。論者曰く、社会政策的租税は之を実行せんか富者は窮乏に向ひ貧者は怠惰に流れ、国富の増殖減退し分配の資源涸渇し社会政策を施すの術なきに至るべしと。素より分配政策と雖生産政策との調和は寸毫も之を等閑視すべからず、而も生産を減退せしめずして分配を公平ならしむるは望み得べからざることにあらずして、工場法等幾多の実例はよく之を証して余あるなり。社会政策的租税も亦此の例に洩れず、累進税率の適用、生活必要品の消費税廃止、最小活資の免税、士地増価相続及び其他の不労所得の重課等の諸制度が社会政策に貢献することの大なるは云ふ迄もなく、同時に、必ずしも富者の富の増加を妨げず、往々にして之を刺戟促進し、且貧困を減少して国民の労働能率を高うし、以て国富の生産に寄与すること多大なるものありて存す、租税政策の目的を達する良手段の一たるを失はず。乃ち知る、社会政策的租税は正義に反せず且手段のために目的を犠牲にするものにあらざるを。
 第七席 本多精一君 官業としての兵器製造業に就いて
 兵器製造を官業とすべきか否かを財政上、経済上より論ぜむとす。余は官業は国防上危険にして、財政を膨脹せしめ、且つ経済上資本を有効に利用せしむるの途にあらずと信ず。次の三点より順次之を論ぜむとす。(一)、我国の兵器製造所は大阪と東京の二個所に官設のもの存在するに過ぎず。日露戦争の実験より云ふも講和は我国の弾丸不足より生じたりといふ。然らば僅に二個の官設工場に此巨大の供給を一任することは国防上危険也といはざるべからず。(二)、若し絶対に官業主義を貫徹せむとするならば現在の大阪東京の工場を大に拡張せざるべからず。然れども此の如きは大に財政膨脹の結果を生ぜしむを如何せむ。抑国防力は伸縮性あるを必要とす。兵士が平時と戦時とに於いて其数大なる伸縮力を有することを必要とする如く、軍器の供給に於いても斯の如き伸縮力を必要とす。斯の如く平時と戦時に於いて伸縮力あるの方針を取ることを以って経済的の国防政策なりと信ず。即兵器の民営を奨励して戦時の拡張力を養ひ、同時に平時に於いて軍備のために財政上の濫費を生ぜしむることを防ぐことを努むべし。(三)、官業は国民経済を圧迫す。官業拡張のため国民は多くの租税を負担せざるべからざるのみならず、国民経済上直接有効ならざることに多くの資本を投ずることは資本の効力を充分に発揮せしめざるの結果となる。
 然らば如何なる策を採るべきかといふに余は兵器製造業の一部を民間に請負はしむべきことを主張す。技術上に於いては現今既に民間に能力あることを信ずるが故に経済上何れが利益なりやを究むれば足る。而して民間に一部の製造を請負はしむることは官業拡張の必要を消滅せしむる点に於いて頗る歓迎すべきことなり。我国現在の状態にては工業上予備後備の備へ無きに等しく目下欧州に於いて行はるゝ如き工業的動員を有事の際我国に於いて行ふことは望無きに似たり。故に今に於いて民間製造所に軍器製造の設備をなし其技術に熟練するの機会を与へざるべからず。或ひは最初は右に要する設備につき政府より相当の補助を与ふるも可なり。
 第八席 田島錦治君 経済と道徳
 社会政策はその語に於て甚だ新しきも其の実に於ては甚だ古し。社会政策は寔に国家の成立と共に存し来れること東西同じ。而して先王治国の道は偏重偏軽を避けて均斉を尊ぶにあり。しかも治国天下は修身斉家に始まる。先王の政は仁義の政にして経済上に於ける社会政策は即ち道徳上に於ける仁義の道たるなり。然らば道徳とは果して何を云ふか。或は曰ふ天下のため国家のため他人のため其身を犠牲にする没我的行為即ちこれ道徳なりと。されど古来の忠臣義士孝子節婦忠僕がその徳行をなすや之を人のためにせずして己のためにすること猶吾人が食を求め衣を重ねるに同じ。自ら楽んで之をなす彼此殆んど変ることなし。恰も彼等が人のためになすが如き外観を呈する所見は我の拡張が行はるるためなり。即ち一時我を拡張して永久我とし、個人我を拡張して集合我となす。かくて後初めて天下の憂を以て自己の憂となし、百世の後の喜を以て自己の喜となしを得。経済は我を重んじ道徳は善を貴ぶ。而して経済と道徳とは必ずしも常に調和するものにあらず、富者必ずしも仁ならず仁者は必ずしも富まず、経済進歩して世道頽廃すること其の例に乏しからず。されど平均人に就て之を論ずれば富は即ち善行の前提にして、大局を達観すれば大善は即ち大利と相一致す。道徳と経済とは矛盾排擠の関係は立たずして調和互助の関係に立つ。此の如く経済的行為と道徳的行為とは種々の点に於て相類似す。今財の生産と道徳との関係を見るに自然は天の賜にして人類の共産、之を私すべからず。労働は人のためと思ふてなすべからず、結果を楽しむ心を以って之をなすべし。財の貯蓄のみを知って労力の保存を知らざる者は達識の士と云ひ難し。資本は労力節約の結果、祖先よりの遺産、尊重して粗末にすべからず。進んで消費と道徳との関係を見るに欲望を経済的欲望非経済的欲望とに分つは非なり。経済の進歩は不道徳なる奢侈と伴はずして礼儀の発達と相伴ふ。経済と道徳との矛盾衝突と云ふは皮相の見解にして根本に於て両者は互に調和一致するものなり。
 中島信虎君の閉会の辞を以て散会時に六時過ぎる五分
 午後七時二十分会員懇親会を東洋軒に開く、出席者左の如し。
 高野岩三郎君 福田徳三君 本多精一君 武藤長蔵君
 内池廉吉君 早川直瀬君 増井光蔵君 本村貞橘君
 堀切善兵衛君 伊藤重治郎君 三辺金蔵君 小川郷太郎君
 坂西由蔵君 気賀勘重君 堀江帰一君 中島信虎君
 渡辺鉄蔵君 桑田熊蔵君 宮島綱男君 田崎愼治君
 左右田喜一郎君 岡実君 小泉信三君 坂本陶一君
 藤本幸太郎君 伊藤真雄君 工藤重義君 田島錦治君
 神田孝一君 刑部斉君 高岡熊雄君 森戸辰男君
 堀光亀君 
 先づ桑田幹事の挨拶あり、遠来会員の労を多とし、慶應義塾大学及同職員諸氏の好意を謝す。田島錦治君地方会員を代表し堀江帰一君慶應義塾及その職員を代表して各答辞を陳ぶ。歓を尽して食堂を閉ぢ、別室にて会務を議す。高野幹事より大井工場観覧に関する報告及入会希望者の紹介あり、続いて議事に入る、主題は第十一回大会に関する事項併に継続委員設置の件なり。各種の意見の戦はされたる結果帰着する所は左の如し。次期会揚は早稲田大学、期日は略常例に従ひ、方法は講演は引き続き公開とするも、報告は討議と共に此後之を非公開とし、而も全一日を報告及び討議に費し、場合によりては報告討議は学校以外適当なる場所に之を催することに大体の方針を定め、詳細は幹事一任のことに決せり。討議問題には農村問題、庶民金融問題、農産物市場問題、都市社会政策等の申出ありしも遂に小工業問題に決定、継続委員に関しては必要の場合には其の都度之を定むべく、此度の官業及保護会社問題に就ては之が設置の必要を認め、調査の範囲調査員の人選調査成績の発表方法等の具体的事項に就ては一切幹事に委任することとして十時五十分散会。
 第三日は例によりて之を観覧日に充てしも、同日午後本会々員東京帝国大学教授金井延君在職二十五年祝賀会開催せらるべきに就き参観を午前に限り、鉄道院大井工場を縦覧す。午前九時京浜電車東大井駅に参集、鉄道院技師秋山正人君の嚮導により工場倉庫車庫附属病院等の設備を参看し得る所少なからず。秋山学士併に此の挙のため斡旋の労を執られたる本会々員添田寿一君併に永井亨君に厚く感謝の意を表す。一時五十分視察を終って随意解散、此日天候の不良と前記祝賀会とのため会員の行を共にせしものは僅かに小川、左右田、高岡、武藤、内池、森戸の諸君に過ぎざりき。


〔2006年1月2日掲載〕




《社会政策学会論叢》第十冊 『官業及保護会社問題』(同文館、1917年4月刊)による。





Wallpaper Design ©
 壁紙職人Umac